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[織田信長]3つの功績で見る戦国時代の影響力

2023年5月2日


燃える本能寺

 

織田信長(おだのぶなが)本能寺の変(ほんのうじのへん)で亡くなるまでの間、いろいろな事をしてきましたが、実際のところ彼の功績とは一体何なのでしょうか。今回は織田信長の功績について紹介していきたいと思います。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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織田信長の功績その1:商業の自由と流通の発達

経済政策が得意な織田信長

 

織田信長の功績その1としましては商業の自由と流通の発達と言えるのではないのでしょうか。

 

織田信長は自国の領内で商業上の特権を持っていた座を無くして、座に属していない人でも商いを行うことができるようにします。その結果織田家の領内において経済が活性化することで、経済力が増加していきます。

 

また街道の要所にあった関所を無くして、道を整備することで物が行き来しやすいようにします。この結果、織田家の領内で物の流通がスムーズに行くことになり、上記で紹介したものは織田信長の功績と言えるのではないのでしょうか。

 

 

 

織田信長の功績その2:火器戦術の巧さ

明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

織田信長の功績その2としましては火器戦術の巧さと言えると思います。

 

織田信長は種子島(たねがしま)に伝来された鉄砲に早くから目をつけて、鉄砲伝来から10年後には戦へ鉄砲を導入しています。織田信長が戦に鉄砲を導入した当時、大部分の戦国大名はまだ新兵器・鉄砲を戦に運用していませんでした。

 

武田騎馬軍団 馬場信春

 

その後織田信長は長篠の戦いで数千丁の鉄砲を用いて、戦いを挑んできた武田騎馬隊(たけだきばたい)へ大損害を与えることに成功しています。また織田信長は鉄砲だけでなく大砲を戦場に用いています。

 

三好三人衆

 

初めて織田信長が大砲を戦で使用したのは三好三人衆(みよしさんにんしゅう
)
が篭城していた野田・福島城(ふくしまじょう)に対してです。織田信長はこの城に対して大砲で攻撃している記述が信長公記に記載されています。

 

その後織田信長は伊勢長島に篭城している一向一揆衆に対して、伊勢水軍を動員して海上から大砲で攻撃しています。また織田信長は毛利水軍と「木津川河口」(きづがわぐち)での戦いでは鉄甲船に大砲を積んで、毛利水軍をボコボコにしています。

 

このように織田信長は鉄砲だけでなく、大砲も用いた火器戦術に優れた戦術を持って敵を打ち破っています。

 

 

織田信長の功績その3:己の信念を貫いた所

馬に乗って戦う若き織田信長

 

織田信長の功績その3としては、己の信念を貫いたところです。

 

織田信長は比叡山(ひえいざん)の焼き討ちや長島・越前で割拠していた一揆衆などに対して大量虐殺をしています。いかに戦国時代で人命が軽く見られていた時代だとしても、上記はありえないことだと思う人も多いでしょう。

 

また織田信長は大量虐殺を行ったせいで、現在でも第六天魔王や魔王などの呼び名がついてしまいます。しかし織田信長は理由なくこれらの大量虐殺を行ったわけではなく、しっかりとした理由があってこれらの残虐行為を行ったのです。

 

廃仏毀釈

 

織田信長が比叡山を焼き討ちして、僧侶(そうりょ
)
を大量に虐殺した理由は大量虐殺を行うことで他の勢力が反乱を起こさせる気力を失わせることにあります。

 

一向一揆

 

また越前・長島の一向一揆(いっこういっき)衆を虐殺したのは天下を統一するために反乱勢力を残しておくわけにはいかなかったからです。

 

織田信長は他人から受ける自分のイメージなどを無視してこれらの大量虐殺を行ったことで短期間のうちに広大な領土を得ることに成功し、天下統一の一歩手前まで行ったと考えることが出来ると思います。

 

比叡山の僧兵(僧侶)

 

もし織田信長が大量虐殺に少しでもためらいを持っていれば、残虐な行為をすることができずに二の足を踏んでしまい、あれほど短期間で広大な領土を得ることなどできなかったでしょう。

 

レンは織田信長の虐殺行為を擁護するわけではありませんが、これらを考え織田信長の虐殺行為を鳥瞰(ちょうかん)すると織田信長が行った大量虐殺も彼の実績の一つと考えることが出来ると思うのですが、みなさまはどのように思いますか。

 

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は織田信長の功績について紹介しました。

 

色々と画期的な政策などをしているため、つまるところ織田信長の実績がなんなのか分からない方も多いと思い、今回紹介してみました。ほかにも織田信長はいろいろな実績を残しているので、興味がある方はこの機会に調べてみるのもいいかもしれませんね。

 

■参考文献 織田信長 天下布武の足跡など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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