ロシアメディアは5月13日、ウクライナと国境を接するロシア西部ブリャンスク州でロシア軍のヘリコプターや戦闘機など合わせて4機が墜落し乗員9人が死亡したと伝えました。撃墜された可能性もあるそうですが詳細は不明です。ロシア国内では各地で反プーチン勢力やレジスタンスによる原因不明の火災が相次ぎ、民間軍事組織ワグネルの代表プリゴジン氏も、ろくな装備も補給も与えられないまま戦っているとプーチン大統領を批判するような発言をしています。
一方でウクライナのゼレンスキー大統領はイギリスのスナーク首相と会談、イギリスは射程距離200キロメートルの巡航ミサイルや無人戦闘機(ドローン)の供与を決定するそうです。ウクライナによる大規模な反転攻勢の噂もささやかれる中、もしロシアがウクライナから全面撤退となればロシアはどうなるのでしょうか?大胆に予想してみましょう。
プーチン失脚後に起こるかも知れない悪夢
ロシア国内で独裁傾向を強めるプーチン大統領ですが、その基盤は決して盤石とは言えません。ロシア軍には反プーチンや反ワグネルの勢力もあり、もしウクライナ戦争がロシア軍の完全撤退で終わった場合。これまでの徹底的な押さえつけの反動が起こり、プーチン大統領が権力を維持する事が出来ず、逮捕され処刑されるか、国外に亡命する可能性もあります。どちらの場合にせよ、権力の中枢が空白になった時、ロシアでは凄惨な権力争奪戦が起こるかも知れないのです。
ポストプーチンを巡り軍と民間軍事組織が激突か?
あまり知られていませんが、ロシア国内には民間の軍事組織が30以上もあるとされ、ウクライナ戦争にも正規軍を補う名目で投入されました。悪名高いワグネルグループもそんな民間軍事組織です。また、30以上もある民間軍事組織の背後には、ロシアの政商にして新興財閥であるオリガルヒがついているとも噂されています。プーチン大統領が失脚した後、次のロシアの支配者の地位を求めて、オリガルヒが支援する民間軍事組織とロシア軍が激突、ロシア全域で内戦が勃発する可能性も否定できないのです。
強力な独裁者を置かないと混迷するロシア
国家には、それぞれ構成する民族の生理とも言える歴史的な行動パターンがあります。身近な例では、隣国の中国が秦の始皇帝の統一以来、国家が統一されては分裂し、また統一するサイクルを繰り返しているのが分かりやすいかも知れません。ロシアも同じように、権力の頂点に強力なリーダーがいないと群雄割拠状態となり、外国の干渉を招くほどに没落するパターンがあります。
想起されるロシアのスムータ
ロシアでは、1605年から1613年までスムータとも呼ばれる大動乱時代がありました。イワン雷帝の死去後、その後継者は病弱で1598年にイワン雷帝の子のフョードルが病死してリューリュク朝は断絶します。その後、フョードルの義兄で側近のボリス・ゴドゥノフが政治を運営しますが、彼も1605年に死去します。こうして、ゴドゥノフの息子のフョードルがツァーリに即位しますが、モスクワの大貴族たちは、フョードルに従わず、雷帝イワンの亡くなった息子ドミトリーが本当は生きているとする噂を利用して、偽ドミトリーを即位させフョードルを暗殺。さらに翌年には邪魔になった偽ドミトリーも殺害し、貴族の名門ワシーリー・シュイスキーを即位させました。
しかし、この事件をきっかけにロシア南部では ボロトニコフを首長とするコサックの農民反乱が拡大。1607年には、偽ドミトリー2世を名乗る人物が出現しモスクワへ進撃。さらにロシア北東ではポーランドの干渉戦争が起こります。窮地のワシーリーはスウェーデンに援助を求めますが、1610年ポーランドのジグムント3世ワーザはモスクワの西方にあるクルーシノでロシアスウェーデン連合軍を撃破、モスクワもポーランド軍の手に落ち、ワシーリーも退位して捕虜としてワルシャワに連行され、ロシア国内から皇帝が消滅します。大動乱は8年間も継続し、16歳のミハイル・ロマノフがツァーリに選出されるまで、ロシアはいつ果てるとも知れない混沌の時代を送ったのです。
まとめ
ロシアは多民族国家であり、領土も広大で議会制民主主義ではひとつにまとまらないと考えられています。もしロシア国内で内戦が起きれば、国内は40以上の小国に分裂するのではないかとも言われているのです。ロシアは、よくも悪くも独裁者なしには運営できない国ともいえ、プーチン大統領が失脚する事になれば、政治の混迷はいつまで続くか予想もできません。手遅れにならないうちに、ウクライナから全面撤退し、国内の引き締めに入らない限り、プーチン大統領が権力の頂点にいられる確率は極めて低いでしょう。
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