[織田信長]焼き討ちの理由!それは○○○だった!

2023年5月24日


廃仏毀釈

 

織田信長(おだのぶなが)は生涯の内に何度か焼き討ち作戦を行っています。どうして織田信長は焼き討ち作戦を行ったのでしょうか。

 

今回は織田信長と焼き討ち作戦について紹介していきたいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



織田信長が生きているうちに行われた焼き討ち作戦

馬に乗って戦う若き織田信長

 

織田信長は本能寺の変(ほんのうじのへん)で倒れる前に焼き討ち作戦が行われています。

 

例えば朝倉・浅井連合軍を匿った比叡山(ひえいざん)の焼き討ち作戦は織田信長を知らない人でも聞いたことがある作戦だと思います。また甲斐・武田氏を滅亡させた後、恵林寺(えりんじ
)
も焼き討ちされます。

 

この恵林寺の住職・快川紹喜(かいせん じょうき
)
は「心頭滅却(しんとうめっきゃく)すればまた火も涼し」の有名なセリフを残しており、知っている方も多いのではないのでしょうか。

 

このように織田信長が生きている間に何度か行われていますが、一体どうして焼き討ち作戦が行われたのでしょうか。比叡山焼き討ち作戦と恵林寺の焼き討ちは理由が違うので、ひとつずつ紹介していきたいと思います。

 

 

 



比叡山焼き討ちを行った理由

 

織田信長のことを詳しく書き記している「信長公記(しんちょうこうき)」は織田信長が比叡山を焼き討ちした理由についてこのように記しています。

 

比叡山の僧兵(僧侶)

 

織田信長が比叡山を焼き討ちした理由は「比叡山が僧侶の分際をわきまえずに朝倉・浅井連合軍に肩入れしたため、信長公が『われに味方すれば、叡山の領土はすべて保全しよう。しかし敵対行為を続けるのであれば、比叡山の根本中堂以外すべて焼き払うぞ』と回答を求めた。

 

しかし比叡山は信長公の回答に確答をしないで、朝倉・浅井連合軍に味方。だから信長公は翌年比叡山焼き討ち作戦を行っている」と「信長公記」で記しています。

 

信長公記(のぶながこうき)」は続いて「信長公は仏法の修行を怠り、淫乱な行いをし、肉を食べたりして破戒活動ばかりしている僧侶を許しておくわけには行かない」としつつ「信長公は朝倉・浅井連合軍に味方した比叡山に恨みを晴らすため」としています。

 

織田信長は比叡山焼き討ちを行った理由は怨恨と比叡山の僧侶たちが仏教の道から外れたことが原因で焼き討ち作戦を行ったとされています。

 

では恵林寺焼き討ちはどのような理由から行われたのでしょうか。

 

 

恵林寺焼き討ちは息子の独断専行

 

織田信長は甲斐武田家を滅亡させた後、恵林寺を焼き払っています。恵林寺焼き討ち作戦はどのような理由から行われたのでしょうか。

 

織田信忠

 

それは織田信長の息子・織田信忠(おだ のぶただ
)
が家臣に命令して行った作戦で、織田信長が直接関与している作戦ではありませんでした。

しかし一つ疑問が残りますね。

 

どうして織田信忠は恵林寺を焼き払ったのでしょうか。それは織田家に敵対していた武将たちが恵林寺へ逃げ込んでいたからです。

 

織田信忠はすぐに恵林寺を包囲しますが、いきなり焼き討ち作戦を行うことをしないで、まずは恵林寺の住職・快川紹喜と交渉します。織田信忠は快川紹喜へ「君のところに匿われている若狭武田氏や六角氏達の身柄を私に引き渡してくれないか」とお願いします。

 

しかし快川紹喜は「嫌だ。そんなことはできん。」と織田信忠の要請を拒否。

 

織田信忠は快川紹喜に断られたことで激怒。そして織田信忠は織田家に敵対してきた武将と一緒に快川紹喜もろとも恵林寺を焼き討ちをしたのが、作戦の実情です。

 

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は織田信長と焼き討ちについて紹介しました。

 

織田信長が行った比叡山焼き討ち作戦はただ恨みつらみから行ったわけではなく、しっかりとした理由があって行った作戦でした。しかし織田信忠が行った恵林寺焼き討ち作戦については、単純に怒りに任せて行っていたので、理由があるとは言い難いですが・・・・。

 

■参考文献 織田信長 (ちくま新書)

 

▼こちらもどうぞ

第六天魔王・織田信長は本当に天下統一がしたかったの?

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-外部配信