2020年に明智光秀は大河ドラマ「麒麟がくる」の主役として登場します。明智光秀の大河が放映されても彼の魅力を知らなければ、「麒麟がくる」を見てもあまり面白くないかもしれません。
そこで今回は「麒麟がくる」放映前の予習として、明智光秀の魅力を紹介していきたいと思います。
明智光秀の魅力その1:教養に磨きをかけた努力家
明智光秀の魅力をここではたっぷりと紹介していきます。
早速ですが明智光秀の魅力その1としては教養に磨きをかけた努力家と言える所です。戦国武将たちは各々茶の湯や連歌を学んでそれなりに教養を持った人物がたくさんいました。明智光秀も教養を持った人物ですが、より磨きをかけるためいろいろ人を師匠として学んでいきます。
明智光秀は連歌を嗜んでいましたが、連歌を上手くなるため里村紹巴に学びます。その後光秀は親友・細川藤孝から連歌に磨きをかけ、文化人としての素養を身につけていきます。
また明智光秀は茶の湯を今井宗久や津田宗及に学び、茶人としても卓越した才能を見せます。この努力の結果、明智光秀は戦国時代の超一流と言える文化人へと変貌を遂げる点が魅力と言えるでしょう。
明智光秀の魅力その2:鉄砲戦術の達人
明智光秀はの魅力その2は鉄砲戦術の達人と言えるでしょう。
明智光秀といえば色白で、織田信長にいじめられる苦労人のイメージが強いと思います。しかし史実の明智光秀は鉄砲運用術に秀でた人物でした。
彼の鉄砲運用術が優れていた一例として金ヶ崎の退却戦があります。
この退却戦は織田信長が朝倉家を滅ぼすため、越前へ攻め込んでいた所、同盟者・浅井長政が裏切った為に起きた退却戦です。織田信長は浅井長政が裏切った事で、正面に朝倉家の軍勢と後方に浅井家の挟撃を受ける危険がありました。
通説ではこの時、織田信長が羽柴秀吉を殿に残して、他の諸将と一緒に一目散に京へ向けて退却。朝倉家と浅井家の連合軍が攻めて来る中、羽柴秀吉が力戦奮闘して、退却する織田軍を逃がすことに成功した退却戦として描かれています。
実はこの金ヶ崎の退却戦ですが、羽柴秀吉の力戦奮闘によって織田軍の退却が成功したのではなく、明智光秀の鉄砲運用術がなければ退却できなかった戦いでした。明智光秀は織田信長に命じられ、羽柴秀吉と池田勝正の参院で行った退却戦です。
明智光秀は織田信長から織田軍の優秀な鉄砲隊を指揮下に預けられ、500人ほどの特別部隊が編成されたと「当代記」などの書物に記載されています。明智光秀はこの特別部隊を率いて襲いかかってくる朝倉家と朝倉家の連合軍を鉄砲で撃退しながら少しづつ退却。
こうして明智光秀達の退却部隊は丹羽長秀が駐屯する若狭まで退却することに成功し、見事難しい金ヶ崎の退却戦を切り抜けることになります。明智光秀はその後京都へ向かい、織田信長に退却戦の報告を行います。
このように明智光秀は鉄砲運用術に優れた人物ですが、上記の戦いだけでなく、本圀寺の戦いでも「大筒」を使って、大軍で押し寄せる三好三人衆から本国寺を守りきることに成功しています。
上記のように明智光秀の優れた鉄砲運用術は魅力ある点と言え、「麒麟がくる」でも明智光秀の鉄砲運用術が大迫力で放映されるはず。
戦国史ライター黒田レンの独り言
明智光秀は上記で紹介した魅力のほかにも優れた政治を行い、民衆から慕われていた点も魅力です。明智光秀は丹波攻略後、治水事業や免税、徳政令など民衆に優しい政治を心がけて実施。
その結果、明智光秀は民衆から喜ばれ慕われることになります。
「麒麟がくる」ではここで紹介した明智光秀の魅力に注意しながら見るとより面白くなると思います。
■参考文献 明智光秀 残虐と謀略 祥伝社新書など
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