明智光秀の好物は○○だった?意外にもグルメ家だった明智光秀

2019年3月4日


 

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徳川家康

 

 

戦国時代の大名にも食にこだわっていた人がたくさんいます。例えば徳川幕府の創設者・徳川家康(とくがわいえやす)は天ぷらが好きで特に鯛の天ぷらが好物でした。また独眼竜で知られる伊達政宗(だてまさむね)は戦国時代には珍しく料理が好きで、現在仙台のおみやげ屋さんに並んでいるずんだもちも彼が作り出したお菓子だそうです。

 

 

馬にまたがって戦う明智光秀

 

 

このように食生活にこだわっていた戦国時代。織田家の出世頭として活躍し、本能寺の変で織田信長(おだのぶなが)を殺害して天下の主として短いながらも君臨した明智光秀(あけちみつひで)にも好物と呼べるものがあったのでしょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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明智光秀の好物とは?

明智光秀 麒麟がくる

 

明智光秀にも好物があるのでしょうか。彼の好物について色々と調べてみると彼にも好きな食べ物があったそうです。明智光秀の好物とは一体何のでしょうか。

 

 

 

戦国武将クイズ!!

 

ここでいきなり戦国武将クイズです。明智光秀の好物とは一体何でしょう。

 

1:焼肉(牛タンや特上カルビなど)

2:おにぎり(塩カルビ味)

3:粽

 

さぁ~みなさんお答えくださいまし。

 

 

トゥットゥルー正解は・・・・

 

 

3の粽です。これが分かればあなたも今日から戦国マニア!!

 

関連記事:明智光秀は愛宕神社で信長討伐の吉凶を占った?(本能寺の変雑学)

関連記事:明智光秀が築いた城下町3選(坂本城・亀山城・福知山城)

 

 

粽とは一体何ぞ!?

 

さて明智光秀の好物は(ちまき)でしたが、そもそも粽とはなんぞやと思っている人が多いと思います。私も粽とは何ぞと思っているので調べてみました。粽とはお餅やお米などを笹、茅萱などで包んだ物だそうです。戦国時代では川端道喜(かわばたどうき)という人が日本で初めて粽を考案したそうです。現代では端午の節句に食べるお菓子として粽が知られています。更に粽は日本発祥の食べ物ではなく、中国の春秋戦国時代に活躍した()の政治家・屈原(くつ げん
)
が起源となっています。

 

このように古代中国と日本の戦国時代の合作として誕生した粽ですが、明智光秀がどれほど粽が好きだったのか。彼の粽が好きだった事を表すエピソードが残っていますので紹介しましょう。

 

 

明智光秀と粽

明智光秀(麒麟がくる)

 

明智光秀と粽にまつわるエピソードをここで紹介していきたいと思います。明智光秀はある合戦の最中、京都の商人たちから粽を献上されたそうです。その後明智光秀は献上された粽を食べようとした時、敵軍から鬨の声が挙がってきます。明智光秀は鬨の声を聞いてびっくりしてしまい、笹ごと粽を食べてしまったようです。

 

他にも明智光秀は本能寺の変で織田信長を殺害した数日後、京都の商人から粽を献上されたそうです。この時の明智光秀は細川藤孝に援軍を頼んでも断られてしまい、筒井順慶も味方に加わってもらえない状況でした。上記の状況下で明智光秀も焦っていたのでしょう。粽をそのままがぶりと食べてしまったそうです。明智光秀は上記のように粽が好きで、粽を葉っぱごと食べてしまうほど好きだった事を示すエピソードを紹介しました。

 

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

上記で明智光秀が粽を好んでいた武将であると紹介しましたが二つのエピソードには光秀の粽好きを表す他にもう一つ表しているものがあります。それは明智光秀の器です。二つの上記のエピソードには共通点があります。

 

それは明智光秀が「ビビリで小心者」と言う点です。二つのエピソードで光秀は粽を葉っぱごと食べていますが、葉っぱをむくことができないほど動転していた。だから明智光秀は小心者であると結論をづけられています。しかし本当に粽をただ葉っぱごと食べただけで明智光秀が小心者となるのでしょうか。

 

レンは明智光秀が小心者だったとは思いません。その理由としては本能寺の変を起こしたからです。明智光秀がもし本能寺で信長の殺害に失敗していれば、謀反人ということで一族もろとも処刑されていたことでしょう。

 

また本能寺で信長を殺害することに成功すれば、一気に天下を手中に収めることができます。上記のようにハイリターン・ハイリスクのギャンブルをすることができる明智光秀が果たして粽を葉っぱごと食べただけで小心者だったと言えるでしょうか。レンは単純に光秀が葉っぱごと食べてしまうほど粽が好きなだけだったと思うのですが、みなさまはどのように思いますか。

 

・参考 「明智光秀 残虐と謀略 一級史料で読み解く (祥伝社新書)

 

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麒麟がくる

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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