越後の龍のあだ名で知られる上杉謙信。
上杉謙信の最後はあっけないもので、トイレでいきなり倒れてそのままなくなってしまったそうです。しかしついさっきまで元気だった人がいきなりトイレで倒れて亡くなってしまうなんてことがあるのでしょうか。
もしかしたら上杉謙信は誰かに暗殺されたのかもしれません。
トイレで倒れてそのまま亡くなる
上杉謙信は織田軍を手取川の戦いでコテンパンにした後、関東の諸大名から援軍を請われたため、春日山城へ撤退。
その後上杉謙信は関東の諸大名を助けるための出陣準備を終えた1578年にトイレに行った時にいきなり倒れてしまいます。
「上杉謙信倒れる」の報告を聞いた上杉家の家臣達は医者を探して上杉謙信の病状を回復させようと必死になりますが、家臣達の努力もむなしくそのまま亡くなってしまいます。
暗殺者にやられた噂が立つ??
上杉謙信はトイレに行った時にいきなり倒れて、そのまま亡くなってしまいます。上杉謙信が亡くなった後ある噂が流れはじめます。
それは織田家の暗殺者によって上杉謙信が殺されたのではないのかとの噂でした。
「上杉謙信寿像裏書」は頓滅と書かれています。この頓滅の言葉の意味はいきなり死んでしまうことで、暗殺者に殺された時にこの言葉を使ってもおかしくないように思われます。更に織田家と上杉家は手取川の戦いで敵対関係にあったため、このような噂が流れてもおかしくないでしょう。
という事は上杉謙信は織田家の暗殺者にトイレで殺害されてしまったのでしょうか。しかしこれらの噂は途中で消えてしまいます。
どうして噂が消えてしまったのでしょうか。
上杉謙信の死亡原因が判明したため
上杉謙信は織田家の暗殺者に殺されたとの噂が流れますが、その噂はすぐに消えてしまいます。
どうして上記の噂が消えたのか。
それは上杉謙信の死因が脳出血だったことが判明したためです。上杉謙信の養子となっていた上杉景勝は家来へ「謙信公が脳出血によって倒れ、そのまま亡くなってしまった。」と手紙を送っています。
また上杉家のことを記している「北越軍記」・「上杉年譜」・「上杉米沢家譜」は上杉謙信の死因も上杉景勝の手紙と同じようなことが書かれています。
そのため上杉謙信は織田信長の暗殺団に殺害されたのではなく、脳出血によって亡くなった可能性が一番高いと思われたため、暗殺された噂が消えてしまうのでした。
戦国史ライター黒田レンの独り言
上杉謙信が織田家の暗殺者に殺害された噂ですが、火のないところに煙が立たないように誰かしらが、上杉謙信を殺害しようと試みていたのかもしれません。
上杉謙信は上杉家の当主として君臨した頃、彼に反発を覚えていろいろな人物が上杉謙信に対して反乱を起こしていました。また能登の長続連は上杉家に滅ぼされた一族で、彼の仇を討とうと考えた一族の一人が上杉謙信暗殺計画を立てたのかもしれません。
他にも上杉家の猛将として知られる柿崎景家という人物がいました。彼は上杉謙信に従って越中攻略戦に出陣しますが、織田家に内通しているとの噂が流れてしまいます。
上杉謙信は柿崎景家が織田家に内通しているとの噂を信じてしまい、彼を殺害しています。そのため彼の息子やいとこが上杉謙信を憎んで殺害しようと計画していたのかもしれません。このように上杉謙信を憎んでいる人は多かったと思われます。
それら上杉謙信を憎んでいた人物の誰か一人が、上杉謙信に毒を水か何かに混ぜて飲ませて殺害しようと試みていたのかもしれません。また上杉謙信を憎んでいる人物がトイレに暗殺者を忍び込ませて殺害しようと試みたのかもしれません。
しかし結果は上杉謙信は病死で亡くなってしまい、上杉謙信暗殺計画を立てていた人物が身バレを恐れて、織田家が上杉謙信を暗殺したと偽情報を流したのかもしれません。
しかしこれらはあくまで推測であるため、断定的なことを言えませんので、ご注意くださいね。
■参考文献 上杉謙信謎解き散歩など
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