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[明智光秀の秘密]剣術の達人も?鉄砲射撃術とともに光秀の剣の技術に迫る!

2023年6月29日


馬にまたがって戦う明智光秀

 

 

戦国時代の戦国武将は「花の慶次」に登場する前田慶次(まえだけいじ)の様に槍をぶん回して敵兵をバタバタ倒しているイメージがあると思います。織田家の出世頭で、権謀術数に長けた明智光秀(あけちみつひで)

 

彼もまた前田慶次の様に槍をぶん回して敵兵をバタバタ倒していたのでしょうか。もしくは光秀が誰か剣豪と呼ばれる人に師事して剣術を学んで敵兵を倒していたのでしょうか。

 

今回は明智光秀と剣術について紹介したいと思います。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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明智光秀の得意なこと

明智光秀 麒麟がくる

 

明智光秀と剣術についてお話する前に彼の得意なことを紹介しましょう。明智光秀は権謀術数にだけ長けていたわけではなく、外交官としても秀でた能力を持ち、四国のコウモリの異名を持つ、長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)と織田家の外交を受け持っていました。

 

他にも明智光秀はなんでもできる万能型の戦国武将でした。しかしこれらは明智光秀の得意なことの一つで彼の一番得なことではありません。

彼の一番得な事とは一体何なのでしょうか。

 

 

 

明智光秀の得意な鉄砲射撃術

明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

明智光秀の一番得意なことは鉄砲の射撃術です。明智光秀は織田信長(おだのぶなが)に仕える前、越前の朝倉義景(あさくら よしかげ)に仕えていました。

明智光秀は朝倉義景に仕えていた時、加賀の一向一揆衆(いっこういっき)討伐戦に参加。明智光秀はこの加賀一向一揆衆討伐戦の時、鉄砲を使って加賀の一向一揆衆を300人も倒したそうです。

 

また明智光秀は織田信長に仕えた時、本圀寺(ほんこくじ)にいる足利義昭(あしかが よしあき)を狙って三好三人衆達が攻撃。明智光秀は足利義昭と共に本圀寺へ篭城します。

明智光秀はこの時、大筒(鉄砲よりも大きく、一抱えもある火器)を使って三好三人衆を打ち倒したそうです。このように鉄砲の射撃術を得意とし、外交、政治などに長けじていた明智光秀。

 

明智光秀は鉄砲の運用を得意とした戦国武将ですが、剣術もできたのでしょうか。

 

 

剣術できない明智光秀!?

明智光秀が剣を持って戦っているシーン

 

明智光秀は剣術ができたのでしょうか。彼の資料を色々と調べてみたのですが、どこにも剣術を得意とするような記載がありませんでした。

 

もちろん花の慶次に登場する前田慶次のように槍をぶん回して敵兵を打ち倒したなどの記載もありません。

と言う事は明智光秀は剣術ができない・・・・そんなことは無いと思われます。

 

 

親友や娘婿に教わっていたかも

三国志ライター黒田レン

 

明智光秀が全く剣術ができなかった事は無いと思います。レンはどうして上記のように予測するのか。それは明智光秀の親友・細川藤孝(ほそかわ ふじたか)に剣術を教わったと思うからです。細川藤孝は足利義輝が剣術を学んでいた剣豪・塚原卜伝から剣術を学んでいます。

 

明智光秀が細川藤孝から塚原卜伝流の剣術を学んでいる可能性もあるのではないでしょうか。また明智光秀の家臣・明智左馬之助秀満は本能寺の変の後、琵琶湖を馬に乗りながら渡って坂本城へ帰還した勇将です。

 

明智光秀は勇将・明智秀満から剣術を学んでいたかもしれません。このように明智光秀は細川藤孝や明智秀満から剣術を学んで達人とは言えないかもしれませんが、人並み以上に剣術はできたと推測するのですが、みなさんはどのように思いますか。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

明智光秀は剣術よりも鉄砲の射撃術の方が得意なイメージがあると思います。でも剣術が全く使えなかったわけではないと思われます。例えば戦で明智光秀の得意な鉄砲が使えないような状況に陥った場合が想定されます。

 

このような状況になった時、明智光秀はどうしたのでしょうか。明智光秀が上記のような状況になった時、細川藤孝や明智秀満から学んだ剣術を駆使して戦ったと思います。レンは明智光秀が身を守るため、剣術で敵兵を倒していたと思もいますが、みなさんはどのように思いますか。

 

・参考文献 「明智光秀 残虐と謀略 一級史料で読み解く (祥伝社新書)

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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