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月刊はじめての三国志2023年7月号 (桃園出版 三国舎)を出版しました


 

はじめての三国志

 

はじめての三国志』よりありったけの愛と感謝を込めて。いつもはじめての三国志をご愛読いただきありがとうございます。

 

kawauso編集長 はじめての三国志主宰・おとぼけ

 

7月24日(月)に「月刊はじめての三国志7月号」の出版が決定しました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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月刊はじめての三国志7月号の表紙は豪雨に見舞われる龐徳

月刊誌表紙23.7.72 ホウ徳 月刊はじめての三国志

 

7月号の表紙を飾るのは、豪雨に見舞われる龐徳の勇猛さを象徴する一幕、龐徳が濁流の中で関羽軍に対して苛烈な抵抗を続ける様子です。

 

ホウ徳、馬超

 

龐徳は中国後漢末期の武将で、馬騰・馬超父子の配下であった彼は、曹操に敗れた馬超が漢中の張魯に身を寄せた時もこれに従いました。

 

馬超と別れるホウ徳

 

しかし、そこで馬超と袂を分かち曹操に仕え、その忠烈な最期を称えられ、史書に名を残す事となりました。

 

 

忠義の象徴

関中の名将ホウ徳05 ホウ徳

 

特に、龐徳の最期の戦いは彼の勇猛さと忠義を象徴しています。ある日、曹仁の命令で樊城の北10里に駐屯していたが、長雨の影響で漢水が氾濫し平地が水没してしまい、関羽の船によって攻撃を仕掛けられる事となりました。

 

ホウ徳

 

孤立無援の中、龐徳は弓をとって勇戦し、配下の董衡・董超らが関羽に降ろうしたのを発見したため、全員を殺害した。また水没していない丘に登り、弓矢による反撃を続けました。しかし、水の勢いで龐徳の小舟が転覆してしまったところを、ついに捕縛されました。

 

忠節に死す

ホウ徳(龐徳)

 

関羽は従兄が劉備に仕えていた事から降伏を勧めましたが、龐徳は「我は国家の亡霊となったとしても、賊将などにはならぬ」と述べ、曹操への忠義を貫いて関羽によって首を討たれました。

 

ホウ徳と曹操

 

この龐徳の勇猛さと忠義を象徴するエピソードを、7月号の表紙に描き出してみました。読者の皆様の今月の冒険が、これらの新刊を通じて豊かなものとなりますように。(2023年7月)

 

月刊はじめての三国志7月号の中身

東京大学 kawausoさん

 

 

この一冊で、はじ三の面白さがわかる月刊誌。値段は何と99円とワンコインで電子書籍で講読することができます。サクッと読めるラインナップのためスキマ時間などにいかがでしょうか?

 

■■■目次■■■

– 趙雲子龍の強さの秘密!歴史を動かしたその力とは?
– 曹操が天才と呼ばれる理由!魏書武帝記から探る天才の源泉
– 夏侯淵の死因は戦死!なぜ白地将軍という言葉が残ったの?猛将・夏侯淵の最期
– 曹操の死因は本当に脳腫瘍だった?実は現代でも恐ろしい歯周病が起因?
– 趙雲の死因とは?子龍が遺した功績と影響

 

 

 

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