「はじめての三国志」の荀イクのイラストは眼鏡をかけてかわいらしいキャラクターとして記事を盛り上げていますが、かわいらしい感じではなく、チョーイケメンだったのです。
しかし荀彧のどこら辺がイケメンだったのでしょうか。今回は荀彧のイケメン部分を正史三国志から三つ紹介したいと思います。
ここがイケメン荀彧君その1「ほんとにイケメン」
ここがイケメン荀彧君と題して記事を進めていきたいと思います。ここがイケメン荀彧君その1はマジでイケメンだった所です。
正史三国志を調べてみると荀彧の容姿は「顔がカッコよく、姿も立派だ」と藩勗と言う人物が荀彧の碑文に記したそうです。
更に正史三国志を調べてみると禰衡が荀彧の容姿について述べている一文を発見しました。禰衡はある人から「荀彧は素晴らしい才能を持った人物だよな」と同意を求められます。すると禰衡は荀彧が威厳を持った風貌だったことを思い出し「荀彧は葬儀へ行かせるのが適任だろう」とこき下ろしたそうです。
しかし荀彧は禰衡が認めた威厳を持った風貌だったことがお分かりになります。荀彧は禰衡の発言と藩勗が彫った碑文からから「容姿端麗で外見もよく、威厳をもった人物」だったと言えるでしょう。
ここがイケメン荀彧君「自分の功績を誇らない」
ここがイケメン荀彧君その2は「自分の功績を誇らない」所です。荀彧は政治面や戦術面、戦略面など色々な面で曹操を支えてきた人物です。
しかし荀彧は「俺はこれだけすごいことやってるんだぜ」と一度も自分の功績を他人に誇ったりしませんでした。
更に荀彧は自分の功績で官職を上げてもらうのを嫌がっていました。曹操は自分を支えてくれた荀彧の爵位を上げるべきだと皇帝へアドバイスの手紙を書いて、荀彧へ渡します。すると荀彧は「私は実戦での功績が無いから、官職を上げてもらうべくではない」と曹操の手紙を皇帝へ渡さないで握りつぶしてしまいます。
曹操は荀彧へ「私は君と一緒に長年仕事をしてきて、君のたてた計略はすべて的を得て、君が推挙してきた人物はすべて有能な人材ばかりだった。実戦だけが功績を立てえる場ではないよ。どうか辞退しないでくれよ。」とお願いします。
荀彧はここまで曹操から言われたはじめて官職を昇給させてもらうことになりますが、自分の為に俸給を使わないで、親族や友人へ分け与えてしまうのです。
自分の功績を誇らず、自分の俸給をすべて他人へ与えてしまう荀彧の性格もイケメンと言えるでしょう。
ここがイケメン荀彧君「恨み言を言わない」
ここがイケメン荀彧君その3は「恨み言を言わない」事です。
荀彧は曹操と後漢王朝をどうするかについて意見を戦わせたことがあります。
しかし荀彧と曹操の意見の対立は溝が深まる一方で、歩み寄ることがありませんでした。
その後荀彧は曹操から「空の器」をもらった事で、自分がもう曹操の役に立つことが無いと考えたのでしょうか。荀彧は曹操から「空の器」をもらった後、毒を飲んで亡くなってしまいます。
荀彧は曹操へ死ぬ間際になっても恨み言を文章で残すことをしませんでした。
また荀彧は曹操と後漢王朝をどうするかについて意見の対立が深まっていった際、曹操に対して恨み言を一つも言わず、他人にも曹操の悪口を一切言いませんでした。上司と喧嘩しても一切悪口を言わない荀彧ってチョーイケメンだと思いませんか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は荀彧のイケメンについてお話しました。
三国志にはまだまだイケメン武将がいっぱいいますので、この機会に荀彧以外のイケメン武将を探してみるのも面白いかもしれませんよ。
またイケメン武将ではなく、不細工な武将を探してみるのもいいかもしれませんね。
■参考 正史三国志魏書など
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