2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の第一回のラストは衝撃的でしたね。今回は主人公藤原道長の兄、道兼の傍若無人な狂暴さが目立ちましたが、中でも胸糞な言葉が「下の者を殴って私の気が晴れるなら、それでいい」という道兼の上級国民ぶりではないでしょうか?しかし、誇張のように見えるあの言葉、残念な事に平安時代の真実だったようです。
狂暴で喧嘩っ早い平安貴族
平安時代の上級貴族は、21世紀の私たちが考えている以上に喧嘩っ早く、また凶悪な人が多かったようです。大河ドラマで秋山竜次さんが演じている藤原実資が記録した「小右記」には、そんな上級貴族の生々しい実態が記録されています。その驚きの内容について紹介しましょう。
自分の従者を殺させた貴族
小右記によると、西暦1013年、8月10日の記録に、先日の夜、右宰相中将兼隆が厩舎人を殴り殺させたと書かれています。厩舎人というのは貴族の馬を管理し、主人が外出する時にはその供をする従者の中でも比較的に主人と近しい存在です。その自分に仕える厩舎人を殴り殺させたのが、右宰相中将兼隆という人物だという内容です。ここに登場する右宰相中将兼隆とは、大河ドラマの第一話で登場した主人公藤原道長の狂暴な兄、藤原道兼の子の藤原兼隆でした。この時、兼隆は29歳で殿上人である公卿の地位にありましたが、そんな分別がある年齢になっても自分の従者を殺害させる事があったのです。NHK大河ドラマでは、道兼が自分の供をしている従者を殴る場面がありますが、あれは、道隆の所業を道兼の所業として見せていたのかも知れません。
人を殺してもお咎めなし
どんな事情があったにせよ、殺人は平安時代でも重罪です。道隆にはどんな処分が下ったのでしょうか?これが驚く事に何の処分も下っていないようです。つまり、平安時代には上級貴族が従者を殺害させた程度では、警察が動く事はなかったのです。貴族であるかないかで命の重さに差があるというのが、平安時代のリアルなのでしょう。
超胸糞、老人をリンチする上級貴族
平安時代においては、大貴族は身分が下の者に対して暴力を振るったり、殺す事があっても事件にはならなかったようです。そのため道隆のみに限らず、若い上級貴族はストレス発散で身分が低い人間を大勢でリンチするケースもありました。その記述は実資の「小右記」の985年、2月13日に出ていて、円融上皇の野遊びの宴の場から、曾禰好忠という下級貴族の老人が追い立てられたと書かれているのです。しかし、実際には曾禰好忠は、ただ、追い立てられただけではなく、上級貴族たちに何度も蹴られる暴行を受けていたようです。今昔物語によると、好忠は中古三十六歌仙に選ばれる歌人でしたが、身分が低く、粗末な身なりで野遊びの宴に勝手に参加していました。それを見た上級貴族たちは、好忠の図々しい振る舞いと、粗末な身なりに腹を立て、円融上皇の下から引き離すと、大勢の庶民の見物人が見ている中で足蹴にするリンチを加えました。好忠は自尊心が強く、人付き合いは上手ではなかったようですが、だからと言って、集団で老人をリンチして良いわけはありません。ここには高い身分にあぐらをかいて、低い身分の人間を人間とも思わない、当時の高級貴族の傲慢さが見て取れるように思います。
まとめ
このように平安時代には高い身分と特権に守られた上級貴族がいて、従者を殺したり、身分の低い老歌人をリンチする程度では、なんのお咎めも無かった事が分かります。光る君への第一話のラストで、まひろの父の藤原為時は妻を殺した犯人が道兼と知りながら、藤原氏に睨まれないために泣き寝入りを決意しますが、実際に為時が訴え出ても、道兼に刑罰をくわえる事は出来なかったでしょう。理不尽ですが、越えられない身分の壁を表現する上で、ドラマの描写は正確だったと言えるかも知れません。
▼こちらもどうぞ