『三国志』に限らず中国史に関することに接していると必ず付きまとってくるのが「諸子百家」という言葉。
なんとなくうすぼんやり知っている気がするけれどしっかり説明しろと言われると困るという人も多いのではないでしょうか。今回は諸子百家がどのようにして生まれ、どのように発展していったのか、その代表的なものは何なのかをご紹介していきたいと思います。
周王朝の凋落
その昔、殷の暴君・紂王を倒した武王は周王朝を立てました。周は建国間もなく武王に死なれるというアクシデントに見舞われるものの、武王の弟の周公旦の善政によって国を安定させることに成功し、平和な時代をつくり出します。
ところが、代を経るごとに雲行きが怪しくなります…。周では王を頂点に諸侯、卿、大夫、…といった階級ピラミッド制度すなわち封建制度を敷いていたですが、その中でも王との血縁が濃い諸侯たちは大きな力を持つようになっていきました。周は王の力を保つために諸侯に対して圧政を敷きますが、かえって諸侯の反感を招いて軍事衝突し、衰退の一途をたどることに。ついには諸侯にクーデターを起こされて周は東西に分裂。春秋戦国時代が幕を開けたのでした。
この乱世をどげんかせんといかん!
周王室はもはやお飾りとなり下がり、諸侯たちがあちらこちらで「我こそが一番!」とギャースカギャースカ争っている…。
そんな乱世を生きる人々の心には「昔はよかったな…。」「世の中がこんなふうになればいいのにな…。」という平和への小さな願いが生まれました。その中でも特に強く平和を願い、具体的に平和のために奔走した者たちがありました。彼らこそが「諸子」と呼ばれる者であり、彼らが生み出した平和のための学問こそが「百家」です。
諸子百家の11学派
「諸」や「百」という漢字からも推察できるように、春秋戦国時代にはたくさんの平和を願う者たちや学問が生まれました。そんな諸子百家は後世学者たちによって何度か分類されていますが、最終的には次の11の学派に分けられました。
1.儒家
武力ではなく、王の徳によって人々を治めるべきだという学問。孔子は特に周の礼を復興させることを求めた。
2.道家
老子や荘子が説いた自然の流れに逆らうまいという学問。流れに身を任せることにより、世の真理に至る。
3.法家
商鞅や韓非が説いた法により人々を支配すべきだという学問。特に韓非は人の性は悪であるとして信賞必罰の重要性を説いた。
4.墨家
墨子が儒家の解く仁の不平等さに疑問を抱いて創設した学問。全ての人を平等に愛することを説いた。
5.名家
公孫龍や恵施といった思想家が挙げられる。そもそも名家の祖といえる両者は物事のつながり、すなわち論理についての人々の認識の矛盾を正していくべきだと主張していたようだが、難解すぎて弟子たちに正しく伝わらず、哲学に昇華できずに詭弁に陥ったという不遇の学問。
6.陰陽家
世の中にある全ての物事は陰と陽の2つに大別できるとし、その均衡を保つことが平和への急務であると説いた学問。後に、五行思想を取り込んでより科学的に物事を捉えようとする学問に昇華。鄒衍が陰陽家の代表として仰がれる。
7.縦横家
各国を渡り歩き弁舌によって外交を有利に進めようとする学問(?)。交渉術と言った方がしっくりくる。代表的な者としては秦以外の国で連合して秦を倒そうという合従策を説いた蘇秦と秦と同盟して生き残ろうという連衡策を説いた張儀の2人が挙げられる。
8.雑家
儒家や道家、法家などの思想の良い所を抽出してミックスした学問。代表的な書物としては呂不韋による『呂氏春秋』や劉安による『淮南子』が挙げられる。
9.農家
許行という人物が説いた尊い身分の人も卑しい身分の人も皆一様に農業に励むべきだという学問。
10.小説家
日常のひょんな出来事を書き記した者たち。鬻子(いくし)がその代表として挙げられる。故事を語り継ぐことによって人々を諭そうとしたと考えられる。
11.兵家
孫武が著した『孫子』などに代表される軍略や政略に関する学問。
三国志ライターchopsticksの独り言
儒家や道家など、よく目にする有名なものから名家や農家などのものすごくマイナーなものまで諸子百家には色々なものがありますね。思想の内容は当然それぞれ異なりますが、どれも同じく平和への願いから生み出されたものです。これらの思想を突き詰めていけば、平和とは何なのかその答えを見つけ出せるかもしれません。
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