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スサノオ、朝鮮半島からの来訪者?[三韓と出雲の秘密の連合構想!]

2024年2月25日


 

コーノヒロ

 

こんにちは。コーノヒロです。今回は、古代出雲王国の繁栄の基礎を築いたとされる「須佐之男命(スサノオノミコト)」(以下、スサノオ)の功績についてお話していきます。前回では、「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」の正体が出雲地域に流れる肥河(斐伊川)の川の氾濫ではないかとの説を紹介しました。そして、その川の水害対策のために、韓の国から招かれたのがスサノオで、それを見事に成功させ、古代出雲王国の繁栄の基礎を築いたとお話しました。それでは、その大蛇の如き、川の氾濫(はんらん)をどのように抑えたのでしょうか?

 

スサノオの手腕を見ていきましょう。どうぞお付き合いください。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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スサノオの語源

 

 

まず、ここで「スサノオ」という名前の語源についてお話します。一説では、「スサ」とは、「荒れすさぶ」の「スサ」を指すとか、または、「渚沙」(スサ)という海辺などに堆積する砂からきているとされています。しかし、最近では「スサ」とは「砂鉄」を意味する説が有力になってきています。それは、スサノオが「砂鉄の神」とも言われているからです。どういうことでしょうか?詳しく説明していきましょう。

 

 

 

スサノオの功績 鉄の流通を実現か?

スサノオの功績 鉄の流通を実現か?

 

そもそも、スサノオの具体的な功績として大きく評価されるのは、鉄の流通を実現させたことだというのです。鉄は、元々、古代日本では、朝鮮半島からの輸入品だったとされています。その鉄を数多く輸入させただけでなく、製鉄技術を伝えることまで実現させたというのが、スサノオの功績だと伝わっているようなのです。それにより、高性能の鉄製農具が普及して、たくさんの土を掘り起こすことが可能になりました。つまりは、土木工事が格段に早く進む訳ですから、水害対策として、強固な堤防が数多く作られたでしょう。

 

黄河

 

 

それによって、スサノオは、水害としての「八岐大蛇(やまたのおろち)」は退治できたということなのでしょう。ちなみに、従来の説では、古代日本における、製鉄技術の普及は、特に「砂鉄」を使った製鉄技術は、5世紀以降などと言われており、「古墳時代」に入ってからと言われていました。

 

以前、筆者がお話させてもらった記事の中では、邪馬台国の卑弥呼の時代には、まだ鉄は輸入品だったという推察の内容がありました。しかし、最近の研究を調べますと、何と3世紀の弥生時代の製鉄所の痕跡が幾つも見つかっているのですね。20世紀末に広島県の三原市で、3世紀の製鉄炉が発見されています。3世紀の広島地域で可能なら、同時期の出雲でも可能であったと考えられるのです。

 

出雲の方が、朝鮮半島からの最先端技術が伝わってきていた訳ですから。しかも、「砂鉄」を使った製鉄の可能性もあったというのです。「鉄鉱石」よりも「砂鉄」を利用するのが最先端の製鉄技術だったようです。しかも、日本の出雲地域には、朝鮮半島よりも、砂鉄が多く取れる環境だったということです。湿潤のため山林資源が豊富だったということです。それを求めて、朝鮮半島から多くの人が移り住んだ事実もあったようです。ということは、スサノオが韓の国から出雲にやってきたのは、鉄資源の砂鉄を求めていたのでしょうか?韓の国の裏の思惑があったということなのでしょうか?

 

しかし、前回、紹介した『出雲国風土記』の話からでも地域住民によって受け入れられて、素朴で平和な神として祀られている訳ですから、決して侵略されたという意味合いははなかったということだと考えます。ただ、全く裏がなかったと言えば、嘘になるかと思います。スサノオを派遣した、朝鮮半島側の派遣した「韓」の国の方にも、何か見返りが得られる目算がないと、そんなことはしないはずです。

 

おそらく韓と出雲にとって、お互いが「Win-Win」の関係になる何かが、そこにビジネスの力が働いていたと考えるべきでしょう。それは、やはり、中国大陸で起きた「黄巾の乱」という世界情勢の変化が関係しているのだと推察します。詳しく見ていきましょう。

 

 

 

韓と出雲の連合王国?!

 

「黄巾の乱」の発生により、 漢王朝の東アジアでの求心力が低下した結果、それまで大人しくしていただろう、中堅勢力の国や豪族の勢力が勢力拡大を狙って動きだしたのです。それは、遼東半島や楽浪郡を手中に収めた公孫氏であり、朝鮮半島北部から中国東北部に勢力を持っていた、高句麗(こうくり)であったでしょう。

 

それらが、朝鮮半島南部を狙ったと考えるのは自然な流れでしょうそこで、韓の国(「三韓」言われ、複数の韓の国が存在しましたが、その中でも、「弁韓」と言われた韓の国をここでは指します。)が以前から交流もあり急速に発展していた出雲地域との結び付きを強めたいとの思惑があったのではないか?と言うことなのです。

 

おそらく、韓と出雲の共同国家の実現を目指したと考えられるのではないでしょうか?出雲の方にも、水害対策を何とかしてほしいとの思惑がり、双方の思惑が合致した形になるでしょう。そこで、王族で若く力もあったとされる、スサノオが派遣されたのではないでしょうか?結果、ある程度の思惑は成果を上げたようです。特に出雲側にとってのです。歴史を振り返って、調べてみても、共同国家を築かれた痕跡が見られず、古代出雲王国が単独で繁栄したような痕跡しか見られないことからスサノオは出雲に帰化し古代出雲王国の繁栄に努めたのでしょう。

 

 

 

古代日本史ライターコーノ・ヒロの独り言

古代日本史ライターコーノ・ヒロの独り言

 

それでは、なぜ、韓との共同国家が実現しなかったのか、そして、スサノオの出雲王としての君臨以降のお話を次回にしていきたいと思います。楽しみにお待ちください。

 

(了)

 

【主要参考】

 

◆ 別冊宝島 CGでよみがえる古代出雲王国

「邪馬台国以前に存在した一大海洋国家の真実」(宝島社)〔瀧音能之 監修〕

古代出雲繁栄の謎 山陰文化ライブラリー12(川原和人 著 ハーベスト出版)

◆ 伊勢と出雲 韓神と鉄 (岡谷公二 著・平凡社 )

 

◆ 現代思想 12月臨時増刊号(2013年) 〔責任編集 三浦佑之〕青土社

 

◆『出雲と大和 ― 古代国家の原像をたずねて ―』村井康彦 著(岩波新書)

 

◆『古代出雲を知る事典』瀧音能之 著(東京堂出版)

 

 

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コーノ・ヒロ

歴史好きのライターです。 福祉関係の仕事をしつつ、物書きの仕事も色々としています。 小説や詩なども、ときどき書いています。 よろしくお願いします。 好きな歴史人物 墨子、孫子、達磨、千利休、良寛、正岡子規、 モーツァルト、ドストエフスキー など 何か一言 歴史は、不動の物でなく、 時代の潮流に流される物であると思っています。 それと共に、多くの物語が生まれ、楽しませてくれます。

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