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藤原為時は、全然貧しくなかった?朝廷の[就職斡旋システム]

2024年4月7日


藤原為時 平安時代

 

 

NHK大河ドラマ「光る君へ」において、花山天皇が出家したために官職を解かれて無職になってしまった、まひろ(紫式部)の父、藤原為時。ドラマでは、まひろが別の家に女房として働きに出ないといけないほどに困窮している様子が描かれていました。しかし、実際の為時は、そこまで貧しくなかったようです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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散位用のハローワーク式部省

鶴岡八幡宮 建物 モブ

 

一度、官職を得た人間が職を失い無職になる事を散位と言います。仕事を失えば、収入も途絶えて、生活には困るだろうと思いきや、当時の朝廷は散位の憂き目にあった平安貴族たちに仕事を斡旋する式部省という役所を持っていました。

 

 

散位寮を置いて解雇者を登録

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

平安中期以後、朝廷では官職が世襲化し、高級貴族の場合、子孫が最初から高い叙位を与えられる蔭子という習慣が生まれます。官職は叙位に比例するので、例え有能であったとしても高級貴族の子弟に官職を奪われ失業する可能性がありました。また、平安時代には、役所の統廃合もかなりあり、廃止された役所の人員が散位となるケースもあります。そこで、一度官職にあって解雇された者を保護する為、式部省に散位寮という失業者が詰める役所を置いていたのです。なんだか、現代のハローワークみたいですね。

 

 

散位は派遣社員として勤務

各地を放浪し続けた今川氏真

 

散位は、散位寮の名簿に登録され、式部省が任命する形で無官のまま造寺司のような律令の外にある機関の職員として派遣されたり、国衙の目代や在庁官人として従事したり、雑任に補任されたり、要は、めぼしい仕事で欠員がある所に派遣されて仕事し俸給を貰っていました。為時も散位として式部省の名簿に登録されて、あちこちの役所に出向していたと考えられます。もちろん、散位の身なので仕事は端役で俸給も少ないでしょうが、無一文でお金に困ると言う事は無かったでしょう。

 

 

常陸国に荘園をもっていた?

常陸国

 

また、藤原為時は貧しいどころか常陸国に荘園を保有していた可能性もあります。それというのも、為時の息子の惟通が40代で病死した時、惟通の生母(紫式部の継母)は常陸国に住んでいましたが、為時を頼って京都に来なくても生活が出来たようなのです。これは、為時が常陸に経済基盤、すなわち荘園をもっていた可能性を示唆しています。もちろん為時が荘園をいつ購入したかは不明なので、後年、越後守になってから出来た財産で購入したのかも知れませんが…いずれにしても、史実の為時は生活力がまるでない学者ではなく、散位になっても、そこそこ生活できる力はあったと考えるのが自然かも知れません。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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