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[光秀の家紋]桔梗の花は真実か?驚きの事実

2024年4月29日


明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

 

今回は明智光秀の家紋である桔梗の花について取り上げます。明智光秀といえば桔梗の花の家紋が有名で、大河ドラマなどで桔梗の花の旗を見たことがあると思います。大河ドラマなどでよく見かけることはあると思いますが、史料で実際に桔梗の花が使われていたという記録はありません。この記事の前半では、明智光秀の家紋が桔梗の花として定着した経緯について取り上げます。後半では、桔梗の花を家紋に使った歴史上の人物について取り上げます。

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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なぜ明智光秀の家紋は桔梗の花になった?桔梗の花で正しい?

明智光秀 麒麟がくる

 

家紋に桔梗の花が使われる要因として、青紫色をしていることから日本人にとって爽やかで寂しげな色が受け入れ安いことが挙げられます。明智光秀の家紋も桔梗の花で、大河ドラマやゲームでも見ることが多いと思います。しかし、史料に明智光秀の旗が桔梗の花だったとは書かれていません。なぜ、明智光秀の家紋として桔梗の花が定着したのでしょうか。光秀は1528年に美濃国の明智に生まれました。光秀が生まれた当時、美濃国の戦国大名は土岐氏で、土岐氏の家紋が桔梗の花でした。

 

土岐頼芸

 

土岐氏は200年にわたって岐阜の守護大名でしたが、油売りの商人だった斎藤道三が下剋上で土岐氏を倒すと、光秀は斎藤道三の家臣となりました。明智光秀は土岐氏の一族だったといわれ、道三の家臣になってからも一族として桔梗の花を使うようになったといわれています。水色で桔梗の花の家紋はかなり目立ったことで、明智光秀の家紋が水色の桔梗の花として定着したといわれています。

 

 

家紋に桔梗の花を使った歴史上の人物

 

家紋に桔梗の花を使った歴史上の人物がいます。ここでは、有名な歴史上の人物で何人か取り上げます。

 

坂本龍馬 幕末

 

 

その1人目は坂本龍馬です。坂本龍馬の家紋は桔梗の花で有名です。大政奉還後、33歳という若さで暗殺されていることから縁起が悪いといわれています。

 

日本史02 加藤清正

 

2人目は加藤清正です。加藤清正の家紋には蛇の目紋と桔梗紋の2種類があります。蛇は神聖なもので、お守りの役目を果たていたといわれています。加藤清正は甲冑にも蛇を使っていました。もうひとつ使用していた桔梗の花の家紋は、秀吉から与えられたもので、使っていたといわれています。桔梗紋を使うようになりましたが、加藤清正は死亡しました。清正の死亡については不明な点が残されいて、毒殺されたという説も残されています。

 

真田丸 武田信玄

 

3人目は武田信玄の家臣山県昌景です。山県昌景も桔梗の花を家紋にしていました。山県昌景といえば、武田信玄の家臣で、赤備えの部隊が有名です。赤備えは昌景の兄の飯富虎昌の部隊でしたが、信玄の嫡男の義信が謀反を起こしたことにより、虎昌は自害しました。兄虎昌の死亡により山県昌景が赤備えを引き継ぎました。山県昌景は武田信玄の死後に跡を継いだ武田勝頼の家臣となりますが、長篠の戦いで織田・徳川連合軍の鉄砲を受け死亡しました。

 

 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は明智光秀の家紋について取り上げました。明智光秀の家紋といえば桔梗の花が定着していますが、実際に使っていたという記録がないことから2020年の大河ドラマの放送を契機に今後の研究に注目したいと思います。家紋に桔梗の花が使われる背景として、戦勝を重ねることができることや魔よけの意味があるという言い伝えがあります。このような言い伝えがあったことから多くの戦国武将や歴史上の人物が使ってきました。

 

敵は本能寺にあり!と叫ぶ明智光秀

 

しかし、本能寺の変で明智光秀が使用していた家紋であること、33歳の若さで暗殺された坂本龍馬、謎の死を遂げた加藤清正、山県昌景の長篠の戦いでの壮絶な戦死など悲劇の家紋や縁起の悪い家紋としての印象が強く残るようになりました。大河ドラマの放送を通して桔梗の花の家紋に対するイメージが変わるのか注目したいと思います。

 

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自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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