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牛車に乗れるのが貴族の証[伊周が泣きべそかいた理由]

2024年6月8日


 

藤原公任 光る君へ 平安時代

 

 

NHK大河ドラマ、光る君へ第二十一話「旅立ち」では、逮捕され九州に流される事になった藤原伊周が牛車で移動している途中、検非違使により馬での移動を命じられ、泣きべそをかきながら拒否するシーンがありました。それは、どうしてなのでしょうか?じつは平安時代において牛車と馬には、乗り心地以上の大変な違いがあったのです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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牛車に乗れるのは貴族だけ

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

 

平安時代、牛車に乗れるのは従五位下以上の身分に限られていました。従五位下は、ギリギリ貴族と呼べる地位であり、天皇に直接会う事が出来る地位でもありました。一方で馬は平安時代には身分に関係なく乗る事が許されています。そのため牛車に乗れる地位である伊周が牛車から降ろされて馬で移動を命じられるのは、お前は貴族ではないと言われたのと同じだったのです。

 

 

牛車にもランクがある

光武帝

 

 

牛車に乗れるのは貴族だけと書きましたが、牛車にもランクがあり身分で規定されていました。最上級の牛車は唐車と言い、牛車の屋根が唐破風になっています。唐破風とは、平たく言うと霊柩車の屋根のようなものです。唐車は上皇や皇后、東宮、親、摂政・関白など極めて地位が高い貴族の専用車でした。大河ドラマでも出家して法皇になった花山院は愛人の屋敷に忍んで来る時に唐車を使用していました。唐車と同じグレードにあったのが、枇榔毛の車で、こちらは屋根に枇榔というヤシの葉を白くさらして編んだもので屋根を葺いていました。枇榔は日本では九州、南四国でしか取れないので枇榔毛の車は高い身分の貴族でないと葺く事が出来ない高級品でした。次にランクが高いのが、糸毛車でより糸で牛車を覆ったもので、皇后や親王、執政は青色、女御は紫色を使うなど色まで区別されていました。

 

 

中級貴族も乗れた網代車

鎌倉幕府は六波羅探題を設置(北条義時)

 

 

さて、中級の貴族になると網代車がよく使われました。網代車は青竹や檜の木を薄く切った板で漁網のように牛車を覆う形です。特に屋形に九曜星が描かれた八葉車に人気がありました。しかし、八葉車に人気があるあまり、都の大通りを走っているのは網代車ばかりになったので、貴族たちは自分の牛車を識別するために牛車の外装に家の家紋を描くようになりました。現在でいえばナンバープレートのようなものですね。これが日本における家紋の始まりで、時代が下っていくと貴族だけでなく貴族から政権を奪い取った武士も家紋を持つようになっていきます。

 

 

あえて網代車を使う高級貴族も

花山天皇

 

 

この網代車ですが、中級貴族ばかりでなく高級貴族も使う事がありました。その理由は網代車があまりに一般的に走っているために、目立ちにくいからです。高級貴族の中には、お忍びで愛人の屋敷に向かう時や、政治的な陰謀で関係者と密会する時に、人目を欺く必要から意図的に網代車を使っていたのだそうです。

 

 

天皇は牛車に乗らない

幕末70-8_天皇(シルエット)

 

では、人臣の頂点に立つ天皇はどんな牛車に乗っていたのでしょうか?実は、天皇は牛車にも馬にも乗らず、人が担ぐ鳳輦という輿に乗って移動していました。鳳輦は現在の神輿にそっくりで、当時、天皇が神の子孫と考えられていた事が分かります。

 

 

まとめ

東京スカイツリー、kawausoさん

 

現代の私たちから見れば、大した違いがあるようには見えない牛車ですが、平安時代にはランクが細かく分けられ、使われている材質も違い、当時を生きた人々は牛車を見ただけで、それがどの程度の地位の貴族かすぐに分かったのだそうです。この点を踏まえると、牛車で移動するのが当たり前のセレブ生活を送っていた伊周が、突然、牛車を取り上げられ馬で移動する事を命じられてショックを受けたのも分かる気がしますね。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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