明智光秀は「信長の野望」でも登場します。主君織田信長を裏切ったことで悪いイメージが先行していますが、実際は文武両道に優れた人物だったといわれています。今回は、実際の明智光秀と信長の野望の評価を取り上げたいと思います。
明智光秀はどんな人?
信長の野望など明智光秀が登場するテレビゲームでは、1528年生まれとなっています。なお、『2020年大河ドラマ 麒麟がくる』などこれまでの明智光秀に関する記事では、1540年生まれという説があることも指摘しています。明智光秀は美濃国の牢人から斎藤道三の家臣として取り立てられ、斎藤道三が下剋上で倒されてから足利義昭・織田信長の家臣となりました。明智光秀は戦いや朝廷・将軍との交渉・領国経営で才能を発揮しました。
『明智光秀の逸話』において明智光秀の功績について取り上げています。具体的には、足利義昭と織田信長の両方の家臣となった頃、朝廷・将軍との交渉を務め、外交能力が高く評価されました。政治面では、良い政治を行ったことから領民から支持され、現代でも語り継がれています。軍事面では、戦いで敗走した経験がほとんどなく、京都御所での軍事パレードという仕事を成功させています。
信長の野望では、没年が1582年となっていて、本能寺の変で主君織田信長を裏切り自害に追い込みますが、山崎の戦いで豊臣秀吉の軍に敗れ、坂本城に逃げる途中で農民に殺害されたと紹介されています。
信長の野望の評価
「明智光秀はどんな人?」で、『明智光秀の逸話』を基に才能を発揮した活躍を取り上げました。信長の野望など戦国大名が登場するテレビゲームでは、各武将に能力値が割り振られています。では、具体的に信長の野望の武将能力値を見ましょう。各シリーズに登場する武将に能力値が割り振られています。
織田信長・上杉謙信・毛利元就など有力な人物の場合、いずれかの項目に100の数字が割り振られることがあります。織田信長の場合野望に、上杉謙信の場合戦闘能力に、毛利元就の場合知謀にそれぞれ100の数値が割り振られています。戦国大名の特徴を表していると言えます。
では、明智光秀の場合の能力値はどうでしょうか。これまでの明智光秀に関する記事を基に取り上げます。まず、明智光秀は武芸に優れていることから戦闘能力や統率力は高めに設定されています。信長の野望のシリーズにもよりますが、80台後半以上の数値が割り振られています。
次に、光秀の政治・外交能力・教養を取り上げます。光秀の領国では人々から慕われていたというエピソードがあることから、政治と教養の数値が80台後半以上で高いのが特徴として挙げられます。将軍や朝廷との交渉も担当していたことから外交能力の数値も高いです。明智光秀の能力値はすべての項目で全体的に高いのですが、ベスト10には入っていません。豊臣秀吉と比べると、秀吉のほうが上に評価されているシリーズがあり、光秀のファンの中には違和感があるかもしれません。
戦国時代ライターオフィス樋口の独り言
今回は明智光秀の逸話と信長の野望の武将能力値について取り上げました。明智光秀の逸話の中で、文武両道であることや領民に愛されていたということに注目しました。信長の野望の武将能力値では、戦闘能力・政治・教養に注目しました。逸話として語り継がれていることと数値が高いことについては、ゲームとズレがほとんどないことが分かりました。
明智光秀はゲームとのズレはほとんどないことが分かりましたが、ゲームの数値とズレが大きい戦国武将がいるかもしれません。個人的には石田三成に注目したいと思います。戦いを始める前の準備で兵糧の計算などが得意だったにもかかわらず、信長の野望の武将能力値の数値が全体的に低いという印象があるかもしれません。他の武将の能力値にも注目したいと思います。
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