孔門十哲に名を連ねる子路(季路)ですが、孔子に「喭」「野」つまり「ガサツだ」と言われています。しかし、子路も負けてはいません。孔子に対して「迂」つまり「まわりくどい」と直接文句を言っています。(『論語』子路篇)
憎まれ口をたたき合う孔子と子路の子弟関係は他の弟子たちよりも濃密だったようで、『論語』で子路は最も多く登場している上に、あの文豪・中島敦にも小説の題材として取り上げられています。今回は、そんな孔子の愛弟子・子路の素顔に迫っていきましょう。
武勇と決断力に長けた孔子の愛弟子
孔子は子路のことをガサツだの野蛮だのとディスりまくっていますが、その一方で彼の武勇や決断力を評価していました。孔子は子路が仁を持ち合わせているかどうか尋ねられた際、「仁を備えているかはわからないが、子路には諸侯の国で軍事を切り盛りさせることはできる」と評価しています。(『論語』公冶長篇)
また、子路に政治を執り行う力があるかどうかを尋ねられた際には、「子路は果断であるから、政治くらいは難無くこなす」と答えています。(『論語』雍也篇)更に、「ほんの一言訴えを聞いただけで判決を下せるのは子路くらいだ」と称賛しています。(『論語』顔淵篇)孔子にその才を高く評価された子路は、後に「孔門十哲」に名を連ねることになったのでした。
けっこうお調子者の側面も
子路は孔子によく褒められていたようですが、褒められるとすぐに得意になってしまう子どものような側面もあったようです。孔子はあるとき、ままならぬ世の中に疲れたのか、子路に対して次のような言葉をかけました。
「正しい道がなかなかどうして行われない。いっそいかだに乗って海に浮かんでみようかな。私についてきてくれるのは、まぁ子路くらいだろうかね。」これを聞いた子路は大喜び。
しかし、そんな子路に対して孔子は次のように続けます。「子路や、お前が勇ましいのは私以上で結構なことだけれど、いかだの材料は一体どこにあるのかね?」(『論語』公冶長篇)孔子は子路が無邪気に喜ぶのを見て、その無鉄砲ぶりを思い出したのでしょう。ちょっとブレーキをかけてやるつもりで皮肉を言っています。この言葉を受けた子路はちょっとだけシュンとしたかもしれませんね。
しかし、子路のお調子者エピソードはこれだけにとどまりません。子路は孔子のそばにはべっていたとき、他の弟子たちが慎ましくしていたり、なごやかにしていたりする中で、思いっきりドヤ顔をして歩いていたようです。そんな子路の様子を見て、孔子は「子路みたいな男はろくな死に方をしないだろう…。」とこぼしていました。(『論語』先進篇)
孔子、塩漬けのお肉を食べられなくなる…
何とも不吉なことを漏らしていた孔子ですが、果たして子路はその言葉通り、不幸な最期を迎えることになってしまいます。子路が衛国に仕えているときに、なんとその衛国で内乱が勃発。
孔子はそれを聞いたとき、「子路は死んでしまうだろうな…」とこぼしました。そしてその言葉通りに、子路が亡くなったという知らせをかかえた使者が孔子のもとに飛び込んできます。孔子は一通り大声を上げて泣いた後、使者にその死の様子を尋ねました。「子路は凌遅刑に処せられ、塩漬けにされました…。」
この使者の言葉を聞いた孔子は、「私はもう塩漬けの肉を食べることができない…!」と言って弟子たちに家中の塩漬けの肉を捨てさせたのでした。(『孔子家語』)現代でも大切な人を火葬で送った後、焼き肉が食べられなくなったという人の話をチラホラ耳にしますが、孔子も大切な弟子を想うあまり、塩漬けの肉が食べられなくなってしまったのでしょう…。
kawa註
凌遅刑とは、罪人を生きたまま少しづつ肉を削いで殺すという極刑。清の時代まで存在していました。主に国家転覆を企んだ人間に適用されたようです。
三国志ライターchopsticksの独り言
何かと意見が対立することの多かった孔子と子路。孔子はそんな子路に対し、「これだからあの屁理屈屋は嫌いだ!」とまで言い放ったことも。(『論語』先進篇)傍から見ると相性最悪な2人ですが、喧嘩するほど仲が良いというのか、ある意味理想的な子弟関係を築き上げていたのかもしれません。
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