三国志の本場中国には三国志ファンを魅了する多くの三国志の観光スポットがあります。今回は魏の名将として有名な張遼(ちょうりょう)のお墓の場所について、ご紹介したいと思います。果たして張遼のお墓は一体どこに存在しているのでしょうか。
張遼のお墓は存在しているの!?
魏の名将として有名な張遼。魏の武将の中でも郡を抜いて人気だと思います。そんな人気の張遼のお墓は果たして存在しているのでしょうか。
調べてみるとしっかりと存在していることが分かりましたが、一体中国のどこに張遼のお墓があるのでしょうか。
張遼のお墓のアクセス方法
張遼のお墓はなんとあの合肥の戦いが行われたところに張遼のお墓が存在。現在の中国の地名では安徽省(あんきしょう)合肥にある逍遥津(しょうようしん)公園の中に。そして逍遥津公園の池の真ん中に張遼のお墓は存在しています。この池の真ん中に行くには自分でボートを漕いでいかなくてはならないため、ちょっと苦労することになります。しかし行くのが面倒だなと思う人は望遠鏡からも張遼のお墓を望めるので、ちょっと体力に自信がない方は望遠鏡から眺めてみてください。
合肥への行き方は!?
張遼のお墓がある安徽省合肥までどのように向かえばいいのでしょうか。日本からだとすごく時間がかかるイメージがあると思われる読者の方も多いかもしれませんが、そんなことありません。実は6時間ほどで合肥に到着してしまうのです。まずは成田空港から飛行機に乗って上海(しゃんはい)を目指しましょう。
成田から上海までは3時間ほどで到着しますので、飛行機の中で映画を見たりお昼寝していれば直ぐについてしまうでしょう。そして上海から特急電車に乗って合肥を目指します。上海から合肥も3時間ほどで到着できます。結構日本から合肥までそんなに遠くなく、案外近場に張遼のお墓まで行けるんです。時間がある方はぜひ行ってみてください。
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合肥の治安
三国時代の合肥近辺は魏と呉の間で戦が激しく行われていたこともあり、治安状態は最悪でした。また清の時代も安徽省は太平天国(たいへいてんごく)と呼ばれる賊軍と清国政府軍がぶつかり合っていた場所で安徽省周辺は非常に治安が悪かったそうです。しかし現在の安徽省・合肥は三国時代や清の時代とは比べ物にならず、治安もしっかりとしており、合肥や周辺の三国志遺跡では観光客で賑わっているそうです。
三国志ライター黒田レンの独り言
逍遥津(しょうようしん)公園には張遼のお墓の他にも多くの見所があります。例えば、張遼の銅像が観光客を出迎えてくれます。他にも逍遥津(しょうようしん)公園のすぐそばにあるお寺には曹操が兵士に弩を訓練させたと言われる強弩台(きょうどだい)があったり、三国時代に使われていた井戸があったりと歴史的に価値のあるものがいっぱいあります。
また合肥全体で見れば、孫呉キラー満寵(まんちょう)が建築した合肥新城(がっぴしんじょう)があったり、三国志の博物館があったりと三国志ファンには堪らないものがいっぱい存在しています。しかしひとつだけ注意が必要です。それは合肥や逍遥津(しょうようしん)公園がかなり広くて迷子になる可能性がある事です。そのため合肥に行った際にはチャイナデータという中国専用のポケットWiFiルーターとグーグルマップを活用してしっかりと自分がいる場所を把握していたほうがいいでしょう。そうすれば迷子になることもなくホテルや次の目的地までスムーズに向かうことができるはずです。皆様もこれらを活用して本場三国志の遺跡を回ってみてはいかがでしょうか。
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