中国北部では古くから粉食が盛んでした。青海省の喇家遺跡(らつかいせき)では四千年前のものと思われる麺の化石が発見されています。そんなに長い歴史があるのなら、現在私たちが目にするような麺は三国志の時代にはぜんぶとっくにあっただろう、と思いきや、「刀削麺(とうしょうめん)」の歴史は意外に浅いのですね。
元(げん)王朝(1271年~1368年)設立前、モンゴルが漢族支配を進める過程で生まれたものだそうです。
刀削麺はどういう麺?
刀削麺は、小麦粉をこねて作った生地を冬瓜のような楕円形にまとめ、それを外側から刃物で細長く削いでいき麺状にしたものです。生地から削いだ麺をダイレクトにお湯の中に落として茹でます。
調理人が煮えたぎった鍋の前に立ち、片手にまあるい生地を構え、もう片方の手で刃物を繰って鮮やかに麺を削ぎ、削がれた麺が次々と宙を舞い鍋の中のお湯に入っていく様はとっても芸術的。職人は麺の茹であがりの固さを考えながら、最初に鍋に落とす麺は太めに、最後のほうは細めに削るそうです。小麦粉料理の種類が豊富なことで知られる山西省の名物料理です。(「知られる」と書きましたが、どの程度の認知度があるのやら??)
刀削麺を削る刃物は、独特の形
伝統的な刀削麺はふつうの包丁で削ぐのではなく、くの字型の独特の金属片を使って削ぎます。こうして削がれた麺は真ん中が分厚く、ふちのほうは薄く波打ったような形になり、分厚い部分でモチモチとした食感を味わうことができ、ふちの薄い部分で唇にじゃれつくような食感を楽しむことができます。
ふちが波打つことでタレやつゆもからみやすくなり絶妙な旨さです。この楽しい味わいを生み出す独特の刃物に、モンゴルの漢族支配にまつわる物語があるのです。
刀削麺はじめて物語
むかぁしむかし(1222年)、モンゴルの将軍ムカリが数万の騎兵で太原(たいげん)を占領した時のこと。漢族たちは武器を持たない者も包丁を手に取りモンゴル人に抵抗しました。そこで、モンゴル人は太原一帯に厳しい限刀政策をしきました。全ての家の金属を一つ残らず没収し、料理用の包丁は十軒に1本だけ順番こで使わせることとし、使い終わったらモンゴル人に返してモンゴル人が保管するようにしたのです。
そんなある日のこと、おばあさんがお昼ご飯に手延べ麺を作ろうと生地をこね、おじいさんに包丁を借りに行ってもらいましたが、他の人が先に借りていて、順番待ちの行列がズラリ。おじいさんはしかたなくそのまま家に帰ることにしました。モンゴル人の屋敷の門を出る時に、おじいさんの足に一枚の薄い鉄片がぶつかりました。おじいさんはなにげなく鉄片を拾い、懐に入れて持ち帰りました。家に着くと、お鍋はグツグツと煮立っており、家族みんなが麺を切って料理してもらうのを待っていました。包丁を借りてこられなかったとは言い出しづらいおじいさん。
あせっていると、ふと、さっき拾った鉄片のことを思い出しました。おもむろに鉄片を取り出し、おばあさんにこう言います。「この鉄片で麺を切ってみようや」おばあさんは鉄片が薄くて柔らかいのを見てぶつぶつと言いました。「こんな柔らかいものでどうやって生地をカットするのさ」おじいさんはぷりぷりしながら言いました。「カットできなけりゃぶち切ってやるまでだい」ぶち切ると聞いてひらめいたおばあさん、生地を板の上に置き、左手で支え、右手に鉄片を持ち、煮立った鍋の前に立ち、一片また一片と、生地をぶち切って鍋に落としていきました。
ゆであがった麺をお椀に入れ、つゆをかけておじいさんに食べさせると、おじいさんは「うまいうまい」と言いながらもりもり食べました。その後は麺を切る時に包丁を借りなくてもよくなりました。この話が一人から十人、十人から百人と伝わり、晋(しん:山西省付近)の大地にあまねく伝わりましたとさ。
三国志ライター よかミカンの独り言
モンゴル人の厳しい支配を受けたというつらい歴史から、芸術的でおいしい名物料理が誕生したんですね。刀削麺を召し上がる機会がありましたら、こしのある麺をかみしめながら山西人のたくましさに思いを馳せてみられるのも一興かもしれません。ちなみに、私は刀削麺を食べたくなったら強力粉と薄力粉を一対一でブレンドして適当にこねて作って食べます。適当に作ってもめっちゃうまいですよ。刀削麺、最高!
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