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戦国時代の人も薄毛を気にしていたの?【どうする家康】

2023年2月19日


 

日本戦国時代の鎧(武士・兵士)

 

NHK大河ドラマ「どうする家康」で三河家臣団では策士として通っている男、大久保忠世。やや小太りな点を除くと、なかなかダンディーな忠世ですが、彼には薄毛の悩みがありました。しかし、頭の真ん中をわざわざ剃っている戦国時代の武士に本当に薄毛の悩みなんてあったのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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正確には薄毛より髷が結えないのが悩み

 

 

戦国時代の武士は前頭部から頭頂部にかけて髪を剃る習慣がありました。なので、頭の中央に髪がない事には特に抵抗はありません。しかし毛量が減って髷を結ぶ事が出来なくなる事については死活問題でした。

 

 

 

ちょん髷になる事を恐れた武士

落ち武者

 

 

現代の私達は、前頭部を剃り結った髪を月代に垂らしたヘアスタイルを「ちょん髷」と言いますが、あれは本当は正しくありません。本来のちょん髷とは、髪の毛が薄くなった老人が残り少ない髪を束ね辛うじて後頭部から出しているのをバカにした言葉でした。薄毛になると、どうしても全体の毛量が減り、髷が小さくなって最後には月代に垂らす事も出来なくなり、後頭部で小さな髷がちょこちょこ動くだけになります。あれこそが武士にとっての恥辱で、老いぼれたという証なのです。

 

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銀杏が結えるように努力

坂東武士A(モブ)

 

若ハゲの武士は、それこそ銀杏が結えなくなる事を恐れ、髪に良いとされる薬を色々試したり、頭皮をマッサージしたりしたそうです。現在の私達が前髪が後退する事を気にするように、戦国の武士も銀杏髷が結えなくなる事を恐れていました。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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