【戦国時代】落ち武者は最終的にどうなってしまうのか?

2020年2月14日


 

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忙しくて過労で倒れる明智光秀

 

ちょんまげ頭の(まげ)を切り落とすと()武者(むしゃ)ヘアーというモノになります。今や、パーティーグッズでもおなじみのあの髪型ですが、実際の落ち武者がどんな運命を辿るのかは分からない人も多いのではないでしょうか?

今回は戦国時代の影の部分、落ち武者の過酷な運命について解説します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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落ち武者ヘアはどうして起きる?

元服をしているシーン(日本人)

 

落ち武者と言えば、あの特徴的な落ち武者ヘアーです。大河ドラマや時代劇では戦に敗れて逃げていくサムライ達は、大体あの髪型ですが一体どうしてなのでしょうか?

実は戦国時代の(まげ)は江戸時代のような丁髷(ちょんまげ)ではなく、茶道(さどう)茶筅(ちゃせん)のような後頭部に髷を立てる茶筅髷(ちゃせんまげ)でした。ですので(かぶと)を被る時には邪魔になり、出陣前に解いて髪を背中で束ねていたのです。

明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

戦争に負けてしまうと身元が分かるような重い兜は投げ捨て、我先に逃げていくので次第に整えた髪も解けてザンバラ髪になり、やがてお馴染みの落ち武者ヘアーが出来上がってしまうわけですね。

 

農民が全て敵になるバイオハザード

悪党(鎌倉)

 

さて、戦に負けた時に落ち武者の最大の脅威(きょうい)になるのは、落ち武者狩りです。特に恐ろしいのは、敵の落ち武者狩りではなく地域の農民などによる落ち武者狩りでした。中世の日本人は、戦に敗れたり政争に敗れて島流しにあうような人間は法律の保護を失った法外人(ほうがいじん)であり、殺して金品を奪っても何も悪くないという常識で生きていました。

kawauso

 

私達のイメージでは、落ち武者狩りの農民は、精々、竹やりくらいしか持たない十人程度の集まりで脅してやれば逃げ散るように考えてしまいますが、実際には、そんなに甘くはありません。

一向一揆(農民)

 

例えば室町時代の記録では、落ち武者が出た事が分かると、村では鐘を鳴らして半具足(はんぐそく)の村人300人を集め戦闘名簿に名前を記録して、落ち武者が出てきそうな道々に手分けして待ち伏せて、組織的な落ち武者狩りをしていた事が出ています。当時の農村は惣村(そうそん)と呼ばれ、武装して外からの侵略を跳ね返すだけの力を持っていました。いくら落ち武者が武芸の達人でも、ある程度の集団でない限り、武装して集団化した農民の落ち武者狩りを逃れるのは難しかったのです。

 

はじめての戦国時代

 

耐えがたい喉の渇き

病気になった兵士

 

仮に、落ち武者狩りを(くぐ)り抜けたとしても、落ち武者には果てしない()えと(かわ)きが待ち受けていました。戦地では、兵士ひとりにつき一升(いっしょう)の水が割り当てられていますが、もちろん、破れた落ち武者に水の支援などあるわけがありません。ましてや、敵地では、どこに水があるか簡単にわからないのです。

そして、運よく村を見つけて井戸を発見したとしても、これを簡単に飲む事は要注意でした。戦争に巻き込まれた村では、井戸の中に死骸(しがい)人糞(じんぷん)を投入して、敵が使えないようにしていた事が多い事が、江戸時代前期の書物、雑兵物語(ぞうひょうものがたり)に出てきます。

 

渇きに負けてそんな水を飲めば、たちまち伝染病に罹患(りかん)し、下痢(げり)嘔吐(おうと)で体力を失くして野垂(のた)れ死ぬ運命が待っていたのです。運が良ければ、川を見つける事もあるかも知れませんが、水が変わるとお腹を壊す事が多いうえ、川は死んだ兵士の死骸などで汚染(おせん)されている可能性が高く、これまた腹下(はらくだ)しによって体力を奪われ、途中で力尽きる事に繋がったのです。

 

無事落ち延びる方法1:一人で落ちない

部下を競争させる織田信長

 

では、無事に落ち武者が狩られずに落ち延びる方法はないのでしょうか?

 

その方法としては絶対に一人では逃げない事です。一人では四六時中(しろくじちゅう)緊張を解く事が出来ず、敵に包囲されれば終り、そうでなくても寝込みを襲われても終りです。

 

徳川家康

 

例えば、徳川家康(とくがわいえやす)も本能寺の変の直後に落ち武者狩りに()いますが、軽装備ながら34人という供がつき、酒井忠次(さかいただつぐ)井伊直政(いいなおまさ)本多忠勝(ほんだただかつ)のような歴戦の猛者がいた上、多少の金品があったので何とか落ち延びる事が出来ました。

本多忠勝

 

農民の落ち武者狩りは、あくまでも落ち武者が無抵抗というのが前提であり、激烈な抵抗を受けて、こちらに死者が出るようでは割が合わないので、その場合には引き下がらざるを得なかったのです。家康の例にならい、落ち武者になったら決して一人では落ちず、ある程度安全な場所に出るまでは団体行動に徹するのが命を守ります。

無事落ち延びる方法2:サバイバル技術

 

雑兵物語では、決して戦場では生水を飲んではいけないと書かれています。つまり、(なべ)茶釜(ちゃがま)のような水を沸かせる道具を持ち、煮沸(しゃふつ)する事が出来れば赤痢(せきり)のような疫病を防げます。もし、水も茶釜もないなら草木を(かじ)って僅かな水分で渇きを抑えるか、木綿があれば、それで泥水を()して上澄みを飲む、それもないなら死んだ動物の血を飲むように雑兵物語は勧めています。余談ですが漫画、花の慶次(けいじ)では籠城(ろうじょう)して水を絶たれた慶次に叔父の前田利久(まえだとしひさ)が自分の肩に小刀で傷をつけ、自分の血を飲んで渇きを(いや)すように言うシーンがありましたが、あれはリアルな話だったんですね。

 

無事落ち延びる方法3:寺に逃げ込み人生リセット

 

五重塔(仏塔)仏教

 

当時のお寺は公界(くかい)と呼ばれ、世俗の権力が入る事が出来ないアジールでした。

なので、逃亡先にお寺があれば、覚悟を決めてそこに逃げ込むのも1つの方法です。

(ただ)し、寺に逃げ込む事は現世との縁を切る事でもあるので、その武士に土地や財産があっても、これを相続する権利は失われます。今風に言えば、自己破産の戦国版が寺に逃げ込む事なのです。

なので、帰る所がある限りは無暗に寺に逃げ込むのは考えた方がいいかもです。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

落ち武者になって、実際に生き延びた人の記録はあまりありません。しかし、雑兵物語(ぞうひょうものがたり)など合戦の極限状態を知る足軽の言葉などから過酷な落ち武者狩りの実態が分かってきました。当時の足軽は戦場を飢饉(ききん)と思えと言い残しています。勝ち負けが決まる前でさえそうなら、敗北した後の戦場は地獄そのものになったでしょう。

 

参考文献:絵解き雑兵足軽たちの戦い

 

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武田信玄

 

 

 

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kawauso編集長

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