岳飛は南宋(1127年~1279年)初期の武人です。
北宋(960年~1127年)が金(1115年~1234年)により滅亡させられたことにより、軍に入隊して頭角を現しました。
一兵卒から軍の総司令官にまで成り上がりましたが、金軍との和議を望む宰相の秦檜や南宋初代皇帝高宗と対立しました。その結果、長子の岳雲や部下の張憲と一緒に無実の罪で投獄されて紹興11年(1141年)に殺されました。
39歳の若さでした。金と死ぬまで戦ったことから、「中国史上最大の英雄」と称賛されています。
ところで、岳飛の子孫についてはあまり詳しいことは知られていません。
今回は岳飛の子孫について紹介致します。
岳飛の子供たち
まずは岳飛の子供たちです。
確認がとれるだけで男子は5人、女子は1人います。
・長男・・・・・・岳雲
・次男・・・・・・岳雷
・三男・・・・・・岳霖
・四男・・・・・・岳震
・五男・・・・・・岳霆
・長女・・・・・・岳孝娥
岳飛の子供たちで有名なのは長男の岳雲です。
ドラマ『岳飛伝 -THE LAST HERO-』にも登場します。
武芸に秀でた息子であり、功績も多く挙げていました。朝廷から昇進の話も出ましたが、岳飛は全て断りました。岳飛は親の威光で息子を出世させたくなかったのです。
紹興11年(1141年)に岳飛と一緒に捕縛されて、同僚の張憲と一緒に殺されました。享年23歳でした。次男の岳雷・三男の岳霖・四男の岳震・五男の岳霆の詳細な内容は分かりません。
岳飛の名誉回復後に官職を渡されたようですがただの名誉職であり、実質上の権限はありません。朝廷も岳飛の子供に権限を与えるのは嫌な気持ちがしたのでしょうね。
悲惨だったのは、長女の岳孝娥です。彼女は岳飛が死んだと聞いて井戸に身を投げて自害しました。ドラマでは兵士に連行される時に抵抗して、誤って井戸に落ちることになっています。
復讐の孫 岳珂
岳飛の三男岳霖には岳珂という子がいます。岳飛の孫に該当します。文筆家だった岳珂はいくつかの書物を残しています。
有名な著作は、『金佗粹編』、『金佗粹続編』です。
岳珂は祖父の無念を晴らすために『金佗粹編』、『金佗粹続編』を執筆したのです。
しかしこの2作の内容は極端でした。
岳飛=正義、秦檜=悪
という図式が、はっきりしています。
歴史書の『宋史』巻365・岳飛伝も、岳珂の著書を丸写しにして執筆されています。身内の主観が入っているので歴史的価値は、ほぼ無いと言われています。さらに、岳珂の著書をもとに創作されたのが、小説『説岳全伝』です。
無念だったのは分かりますが、嘘はいけません。
その後の岳飛の子孫
ところで、岳飛の子孫は現在いるのでしょうか。
実は驚いたことにいるのです。
岳飛と一緒に処刑された長男の岳雲と三男の岳霖の家は絶えずに残っていました。
2008年の時点で中国全土にいる岳飛の一族は、181.6万人です。
もちろん、彼ら全てが子孫とは限りません。中には自称しているだけの一族もいるかもしれません。しかし、近年彼らは交流を行って、岳飛の命日には祭祀を行うそうです。
また、一族が絶えないように族譜(家系図のようなもの)を作成しています。岳飛は永遠に人々の心の中に生き続けるのでしょう。
宋代史ライター 晃の独り言(お詫び)
ここで読書の皆様にお詫びがあります。
実は以前から、岳雲のことを筆者は〝養子〟と記述していました。
ところが、近年の研究で岳雲は実子と分かりました。
どうも岳飛の前妻との間の子のようです。南宋の史料『建炎以来繫年要録』という史料に記されています。
また、ドラマ『岳飛伝 -THE LAST HERO-』もこの説を取り入れている形跡がありました。
この場を借りてお詫びいたします。
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