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[知ってる?]梁山泊の初代首領、水滸伝の王倫とは?

2023年7月10日


 

水滸伝って何? 書類や本

 

『水滸伝』は(みん)(1368年~1644年)の時代に作られた小説です。中国では『三国志演義(さんごくしえんぎ)』に匹敵する人気を誇っております。モチーフは北宋(ほくそう)(960年~1127年)末期の小規模な反乱です。

 

水滸伝の宋江

 

リーダーの宋江(そうこう)も実在しています。この『水滸伝』の豪傑が根城とするのが梁山泊という砦です。梁山泊といってもパチプロ集団や居酒屋の名前ではありません。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

王倫

 

読者の皆様が筆者のネタに古くてついて行けないようなので話を続けます。さて、今回は梁山泊(りょうざんぱく)はどんな土地なのか、最初に梁山泊を創設した首領の王倫(おうりん)について解説します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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梁山泊とはどんな所?

梁山泊

 

梁山泊とはどんな土地なのでしょうか。梁山泊は『水滸伝』に登場する天然の要塞です。

ですが、実在しています。

 

場所は現在の山東省済寧市梁山県です。『水滸伝』では四方800里を沼で囲まれた山という表現になっています。世間でやましいことを行った人間が逃げ込む場所となっていました。天然の要塞なので、官軍も手が出せなかったようです。

 

 

 

実際の梁山泊は・・・・・・

荒れる黄河

 

上記の内容は小説『水滸伝』での表現なので、誇張であるのは間違いありません。実際はどの程度だったのでしょうか。史実の梁山泊は北宋統一以前の五代十国時代(907年~960年)黄河の氾濫により、出来上がった巨大な沼地です。天然の要塞というレベルではありません。

 

しかし、北宋末期に盗賊が梁山泊付近を根城にしていたのは間違いない事実です。梁山泊は明・清(1644年~1911年)にかけて、大規模な地殻変動が起きたので、沼は干上がってしまい消滅しました。

 

現在、梁山泊は観光客用のテーマパークとなっています。

 

 

初代首領王倫とは?

宋江 水滸伝

 

梁山泊の首領と言えば読者の皆様が思い浮かべるのは、晁蓋(ちょうがい)や宋江です。だが、梁山泊の根幹を作ったのは王倫という人物です。

 

王倫は無位無官の書生という意味から白衣秀士(はくいしゅうし)というあだ名が付いていました。彼は科挙(かきょ
)
(現在の公務員試験)を何度も受験するが、合格しなかったから盗賊になったようです。

 

おそらく、(とう)(618年~907年)の末期の反乱者の黄巣(こうそう)のマネだと思います。黄巣も科挙受験に何度も失敗して唐王朝を恨んで反乱を起こした部類です。ちなみに王倫のように科挙に合格出来ない在野の知識人を専門用語で〝下第士人かだいしじん)〟と呼びます。

 

こういう人々は宋代にたくさんいました。科挙に合格出来なかった下第士人はのやる事は決まっていました。

 

(1)反乱を起こす

(2)故郷で塾を開いて子弟の教育に努める

(3)役所でその日暮らしのアルバイトで生計を立てる

 

以上の3点でした。ちなみに、梁山泊の軍師の呉用(ごよう)は入山前は故郷で塾の先生をしており、宋江は役所でアルバイトをしていたので、彼らも下第士人と想像はつきます。話がずれたので、王倫に戻します。

 

王倫という男は、北宋に対して反抗する意思は持っているのですが、勢力を拡大しようという考えまでは無かったのです。王倫の場合、その日が何事もなく無難に暮らせれば十分なのです。また、入山する人材に対しては自分より力量が上の人物を拒否する傾向がありました。

 

林冲

 

例えば林冲(りんちゅう)が入山しようとした時も彼の武術の腕が他の部下よりも圧倒的に上なので、いずれは首領の座を乗っ取られるのではと恐れています。そこで林冲に条件を付けて、入山を拒もうとしました。また、晁蓋が入山する時も、食糧が足りないので養う力が無いという理由を付けて追い出そうとしました。

 

林冲(水滸伝)

 

この時に、とうとう怒った林冲により殺害されます。その後、梁山泊の2代目首領は晁蓋になりました。

 

 

宋代史ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が梁山泊の解説と初代首領の王倫に関しての解説でした。王倫は登場期間が短いので、読者の印象に残らないキャラクターです。しかし、彼という存在が無かったら、今の梁山泊は無かったのです。

 

※参考

・川上恭司「科挙と宋代社会:その下第士人問題」(『待兼山論叢 史学篇』21 1987年)

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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