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[結構いい加減]蜀の玉璽は川に沈んでいた

2023年10月18日


玉璽を見つけた孫堅

 

三国志において有名なアイテムに玉璽があります。璽とは印鑑の事で皇帝の印鑑を意味しています。三国志演義では、宮殿の古井戸から玉璽が見つかり、孫堅がこれを保有、袁紹との間で一悶着が起こります。では、遅ればせながら国を建国した劉備の蜀の玉璽はどこにあったのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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蜀の玉璽は川の底から出てきた

玉璽

 

では、蜀で皇帝になった劉備の玉璽はどこから出てきたのでしょうか?それは荊州襄陽を流れる漢水という川の底でした。劉備の玉璽はひとづてではなく川から姿を現したのです。なんだか桃太郎みたいですね。

 

 

嘘臭い超常現象もセット

玉璽を返還する徐璆

 

しかし、ここで疑問が湧いてきます。なぜ川底に沈んでいた玉璽の存在が分かったのでしょうか?それは、この玉璽を拾って劉備に献上した王休と張嘉によると、川から空に向かい、霊光が天を突くように立ち上っていたからなんだそうです。控え目にいって嘘臭いですね。

 

 

 

どうして益州で発見されない?

劉邦

 

ところで、この蜀の玉璽、本拠地である益州ではなく、荊州で発見されています。どうせなら本拠地である益州で発見した事にした方が、まだ信憑性があるような気がしますが、どうしてなんでしょうか?理由は、この川の名前、漢水にありました。漢は劉備の遠い先祖である劉邦が起こした国であり、劉備にとっては運命づけられた即位だと主張できるからです。そして、驚く事に、この漢水は支流であり、本流はちゃんと遠く離れた漢中に繋がっていました。これも元々劉邦が漢中で項羽に対して兵を挙げ、天下獲りを開始した故事にあやかっているのです。

 

 

ここまでこじつけた周囲がスゴイ

龐統を重要なポストに就かせるよう劉備に進言する孔明

 

色々突っ込みどころが多い蜀の玉璽ですが、それでもなんとか即位の正当性をPRしようと劉備の周囲の人々が必死にこじつけを考えていた様子が見えて、それはそれで微笑ましいですね。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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