三国志において有名なアイテムに玉璽があります。璽とは印鑑の事で皇帝の印鑑を意味しています。三国志演義では、宮殿の古井戸から玉璽が見つかり、孫堅がこれを保有、袁紹との間で一悶着が起こります。では、遅ればせながら国を建国した劉備の蜀の玉璽はどこにあったのでしょうか?
蜀の玉璽は川の底から出てきた
では、蜀で皇帝になった劉備の玉璽はどこから出てきたのでしょうか?それは荊州襄陽を流れる漢水という川の底でした。劉備の玉璽はひとづてではなく川から姿を現したのです。なんだか桃太郎みたいですね。
嘘臭い超常現象もセット
しかし、ここで疑問が湧いてきます。なぜ川底に沈んでいた玉璽の存在が分かったのでしょうか?それは、この玉璽を拾って劉備に献上した王休と張嘉によると、川から空に向かい、霊光が天を突くように立ち上っていたからなんだそうです。控え目にいって嘘臭いですね。
どうして益州で発見されない?
ところで、この蜀の玉璽、本拠地である益州ではなく、荊州で発見されています。どうせなら本拠地である益州で発見した事にした方が、まだ信憑性があるような気がしますが、どうしてなんでしょうか?理由は、この川の名前、漢水にありました。漢は劉備の遠い先祖である劉邦が起こした国であり、劉備にとっては運命づけられた即位だと主張できるからです。そして、驚く事に、この漢水は支流であり、本流はちゃんと遠く離れた漢中に繋がっていました。これも元々劉邦が漢中で項羽に対して兵を挙げ、天下獲りを開始した故事にあやかっているのです。
ここまでこじつけた周囲がスゴイ
色々突っ込みどころが多い蜀の玉璽ですが、それでもなんとか即位の正当性をPRしようと劉備の周囲の人々が必死にこじつけを考えていた様子が見えて、それはそれで微笑ましいですね。
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