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[解明]井伊直政の死因:火縄銃による射撃は事実なのか?

2023年10月19日


井伊直政

 

 

今回は井伊直政(いいなおまさ
)
の死因について取り上げます。この記事の前半では井伊直政の生涯について紹介します。後半では火縄銃と死亡との因果関係について取り上げます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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井伊直政とはどんな人?

井伊直政

 

井伊直政は1561年に遠江国(とおとうみのくに
)
の井伊谷城主の井伊直親(いいなおちか
)
の嫡男として生まれました。直政が2歳の時、城主の井伊直親が謀反の疑いをかけられ殺害されると、同族に身を隠しながら元服するまで養われました。

 

 

徳川家康

 

 

1575年に徳川家康(とくがわいえやす)に家臣になりました。家臣になると井伊家の先祖伝来の地である井伊谷の所領を回復することに成功しました。また、家臣になると数多くの武功を挙げました。このことが評価され、井伊直政には武田信玄(たけだしんげん)の家臣だった飯富虎昌(おぶとらまさ
)
の赤備えを引き継ぎました。

 

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

1600年、関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい
)
で徳川家康が率いる東軍に加わります。関ヶ原の戦い後、近江国の佐和山城に移ります。

 

薩摩藩の島津義弘

 

佐和山城から彦根城に城を移し、彦根藩主となりました。関ヶ原の戦いで薩摩(さつま)島津義弘(しまづよしひろ
)
の軍を追撃したときに鉄砲に撃たれました。鉄砲で即死することはありませんでしたが、鉄砲の傷が原因で1602年に死亡しました。

 

 

 

火縄銃で撃たれるとどのような症状が出るのか?

火縄銃(鉄砲)

 

火縄銃で撃たれると、体に穴が開きます。直径10mmの弾で撃たれると、体に20mmの穴が開きます。鉄砲で撃たれると、即死する場合と即死ではない場合があります。ここでは、それぞれの場合についてどのような症状がでるのか紹介します。

 

 

火縄銃を撃つ侍(鉄砲)

 

 

火縄銃で即死する場合を取り上げます。まず、弾丸が脳に命中することが挙げられます。脳に命中すると、神経が機能しなくなり即死します。心臓の場合、全身に血液を流すポンプのような役割を果たすことから血流が止まり即死に至ります。脳や心臓以外では動脈に命中した場合が挙げられます。太い動脈であれば出血多量で死亡します。

 

明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

即死でない場合を取り上げます。命を取り留め、戦場から離脱できたとしたらすぐに処置しなければなりません。処置しないと感染症を引き起こします。具体的にはガス壊疽という症状が出ます。ガス壊疽とは傷口から侵入した細菌が筋肉を壊死させる病気です。二酸化炭素やメタンを発生させながら感染が広がり、筋肉が腐ります。やがて臓器に影響が出て死に至る病気です。

 

 

井伊直政の死因とは?

井伊直政

 

井伊直政は鉄砲に撃たれたことによる傷で死亡しました。井伊直政の場合、関ヶ原の戦いから約1年半後に死亡していることから感染症による死亡が有力です。死因はガス壊疽であると考えられます。

 

関ヶ原の戦いにおいて鉄砲で撃たれ、毒素が血中に流入しました。弾丸に入った毒素が周囲の組織を壊死させ、血行障害による酸素不足が起こりました。やがて、敗血症を起こし、多臓器不全で井伊直政は死亡しました。

 

病気になった兵士

 

現代の戦争においてガス壊疽による死亡は少なくなっています。ガス壊疽の治療法として抗生剤の大量投与や高圧酸素を投与することによる治療法が確立されています。

 

幕末 臨終のシーン 亡くなる(死)モブ

 

なお、井伊直政の死因については破傷風という説もありました。しかし、破傷風の潜伏期間が3日から3週間であることや井伊直政が関ヶ原の戦いから1年半生きていることから矛盾します。破傷風については否定的な見解です。

 

 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は井伊直政の生涯について振り返るとともに関ヶ原の戦いでの鉄砲傷について取り上げました。この記事を通して、井伊直政の死因は感染症であることが分かりました。具体的にはガス壊疽で敗血症を起こし、多臓器不全に至ったことによって死亡しました。

 

破傷風という説もありましたが、潜伏期間を考慮すると否定的であることも分かりました。今後、戦国武将の死因について鉄砲の傷によるものだけでなく病気によるものにも注目したいと思います。

 

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オフィス樋口

自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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