皆さんは中国人といえばどのような服を着ているイメージを持っているでしょうか?
テレビアニメなどに登場するステレオタイプの中国人は皆チャイナ服を着ているので、多くの人が昔の中国人は皆チャイナ服を着ていたと思っているのではないでしょうか。しかし、チャイナ服の歴史は思いの外浅い上、漢民族の伝統的服装ではありません。実は、漢民族には「漢服」という数千年の歴史を誇る立派な衣装があるのです。
今回は漢民族の伝統装束である「漢服」についてご紹介したいと思います。
この記事の目次
襟があるのが漢服の特徴
漢服の最大の特徴は襟があることです。襟があるというのは、日本の伝統衣装である着物と同じ特徴ですね。また、帯で締めるという点もそっくりです。きっと日本の着物は漢服の影響を大きく受けているのでしょうね。漢服は基本的に麻や絹で作られており、さらさらとした肌触りが心地良い衣装で、やはり着物のように風通しの良い作りになっています。そのため、温暖湿潤な気候に住む漢民族にとってはうってつけの服装であると言えるでしょう。
漢代には動きやすい服装が好まれるように
人々が服飾に気を遣うようになった周代頃からは十二単のように何枚も重ね着をする深衣というものが男女問わず着られていたのですが、漢代にはアクティブな大丈夫が着るには不都合が生じるということで男性たちには動きやすい軽装が好まれるようになりました。下着を身につけた上に1枚だけ袍(上衣)を着るというスタイルが一般的だったのですが、やはり身分やTPOに応じて様々な服装を使い分けていたようです。
身分が高い男性は丈の長い袍と袴を着て歩いていました。長い袍は「長袍」と呼ばれ、裾がカーブを描いている「曲裾」と日本の着物のように裾がまっすぐな「直裾」の2種類があったようです。はじめは「曲裾」の方がフォーマルスタイルとされていたのですが、次第に「直裾」が主流となり、「曲裾」を着る人の方が珍しくなっていきました。一方、身分の低い人たちは短い袍と長い袴を着るのが一般的でした。女性については相変わらず深衣が着られるのが一般的だったようですが、袿衣と裙(スカート)を身につけることもあったようです。
魏晋南北朝時代にはゆったりとした服装が流行
魏晋南北朝時代は多くの王朝が乱立して乱れに乱れていたのですが、一応中国全土で貴族文化が流行っていた時代だったということで男女共にゆったりとした余裕のある服装が好まれていたようです。ただ、北方では異民族の影響を受けたカッチリしたタイプの服も着られていたみたいですね。
唐代には胡服と呼ばれる服を着るように
唐代にはイランやトルコなど西方の異民族が着ていたちょっぴり派手目の胡服が大流行。男性は階級によって様々な色の袍服を着ていたそうな。男性の服もなかなか華やかだったようですが、女性は更に色とりどりのきらびやかな衣装に身を包んでおしゃれを楽しんでいたようです。
女性の間では襦裙という大正時代の女学生を思わせる装いが流行っていたのですが、けっこう露出が激しいものもあったそうな…。ちょっと目のやり場に困っちゃいますよね。派手なイメージの唐代ですが、庶民については白や黒の服を身につけることが一般的だったようです。服を染めるのはやっぱり上流階級の特権だったのでしょうか。
宋代以降は再びゆったりした服装が流行
宋代には袖口が広くて丸首なのが特徴的な襴衫という服が普段着として着られるようになりました。女性については様々な種類の袖の服やスカート、ズボンをその日の気分で組み合わせておめかしをしていた様子。きっと当時の女性たちは今の女性たちに負けず劣らずおしゃれさんだったことでしょう。ただ、働く庶民については職業ごとに服装が厳しく定められていたらしくおしゃれなんて贅沢なことはできなかったようです。
清代になって漢服が廃れた
人々の間で長い間着られていた漢服ですが、ついにその歴史が途絶えるときが来てしまいます。満州族の清王朝が明王朝に取って代わり、漢服ではなく満州服を着ることが義務付けられてしまったのです。それでも多くの人々は漢服の着用を続けていたようですが、時が経つにつれて漢服を着る人は少なくなっていきました。
三国志ライターchopsticksの独り言
多くの人が中国人の伝統衣装だと思っているチャイナドレスは実は満州族の服。漢民族の民族衣装である漢服は清代にはほとんど見られなくなってしまっていたのです。しかし、最近では漢服復興運動なんかも起こったのだとか。漢民族の伝統と誇りが詰まった漢服文化が日本の着物文化のように脈々と続いていけば良いですね。
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