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[3分で解説]織田信長に天下が取れた理由

2024年1月13日


画像利用について01 織田信長

 

戦国の風雲児、織田信長、天下に一番近づいた彼ですが、どうして信長には天下が獲れてライバルたちには獲れなかったのでしょうか?理由は織田信長は裕福で、ライバルたちは貧しかったからです。今回はその点を詳しく解説しましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦国大名の戦う理由は食うため

 

戦国大名が戦う最大の理由は家来や領民を食べさせるためでした。逆に言うと領地が貧しいから外から奪う以外に生き延びる術がなかったのです。

 

 

領土が増えると貧しい領民を抱え込み略奪スパイラル

餓死する農民 日本史ver

 

しかし戦争に勝つと、戦国大名は富を奪われた貧しい領民を抱え込みます。そして、今度は新しく増えた貧しい領民を食べさせるために、他国を侵略する略奪のスパイラルが始まってしまうのです。戦争に勝てば勝つだけ貧しい領民を抱え込むので、戦国大名は領地が大きい割に国全体ではちっとも豊かになれません。戦国大名の多くは、この負のスパイラルから抜け出せず、天下統一なんて考えている暇はなかったのです。

 

 

最初から豊かで略奪の必要がない信長

資金が豊富な織田信長

 

ところが織田信長は違いました。彼が根拠地とした尾張は50万石以上の石高があり日本有数の米が取れる土地でした。また尾張は交通の要衝で陸でも海でも商業が盛んで、これらの収入で信長は裕福であり、貧しいライバル国のように部下や領民を食わせるために積極的に他国を侵略する必要がなかったのです。

 

 

美濃を攻略したのは上洛のため

上洛した時、疲れて馬上で居眠りしている信長を見て、ぷすーと笑う島津家久

 

織田信長は隣国の美濃を攻略していますが、それは部下や領民を食べさせるためではなく上洛する時に美濃を通る必要があるからでした。さらに信長は京都への通り道である北近江の戦国大名、浅井長政に妹のお市の方を嫁がせ同盟しています。

 

 

上洛後は自分に従わない大名を討伐

織田信長と本願寺顕如(石山合戦)

 

こうして上洛した信長は天下静謐を唱え、室町幕府の権威をバックに全国の争いを鎮めようとします。以後の信長の戦いは領地の拡大の為ではなく自分に従わない大名を討伐する戦いになります。

 

 

足軽に金銭を払い略奪を禁止

宋銭 お金と紙幣

 

その中で合戦も繰り返し起こりますが、信長は足軽を雇って金銭を払い、代わりに略奪を禁止し一銭でも盗めば打ち首という厳しい掟を科しています。これが足軽の給料として略奪を黙認していた他の戦国大名との大きな違いでした。信長の厳しい掟は概ね守られ合戦の後で村が略奪に遭い荒廃する事が少なくなり、領民たちは食べる為に他国に侵略に向かう必要がなくなったのです。これは戦国の略奪スパイラルを終わらせる画期的な出来事でした。

 

 

年貢を下げ、公共事業を興す信長

逃亡する兵士 日本史ver

 

さらに信長は支配地域の年貢を下げ、狭くて曲がりくねった街道を広く整備し領民が暮らしやすくなるように気を配っていきます。この噂は広まり、甲州征伐では武田勝頼を見限り、織田軍に味方する甲斐の領民が大勢出たそうです。

 

 

富める信長が天下を獲るのは必然

天下布武を唱える織田信長

 

歴史を大きな視点で見ると、生きる為に他国から奪わざるを得なかった貧しい戦国大名と、裕福で略奪に頼る必要がない織田信長との間の差がくっきりと見えてきます。豊かだった信長は、だからこそ天下を統一し乱世を終わらせようとする発想が持て、逆に領民を食べさせる事に追われた戦国大名には、そんな発想は持てなかったのです。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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