明治天皇
今回は明治政府で西郷隆盛が明治天皇に与えた影響について取り上げます。明治天皇は少年で天皇に即位し、16歳で日本国のトップになりました。明治天皇と教育係だった西郷隆盛との関係に注目します。
明治天皇の教育係・西郷隆盛
西郷隆盛は少年だった明治天皇に教育的指導をしていたという記録が残されています。明治新政府ができてまもなく、明治天皇はわがままで有名でした。西郷が明治天皇を叱り、明治天皇はおとなしくなりました。明治天皇は相撲が好きであることも有名でした。西郷隆盛は相撲好きで、明治天皇と相撲をとっていました。日頃の鍛錬に取り入れていましたが、相撲の最中に明治天皇を殴って、女官あさりをやめるように指導したこともありました。
ある日、山岡鉄舟は酒席で明治天皇から意見を求められ、天皇に反論しました。この反論に対し、明治天皇は突然相撲をとろうと言い出します。一方で、鉄舟は座ったまま立とうとしません。すると、明治天皇は座り相撲をとろうとしますが、鉄舟は動きません。
天皇は鉄舟を無礼だと怒りましたが、鉄舟は君主と相撲をとることは道義に外れると論破しました。翌日、明治天皇は鉄舟に謝罪し、明治天皇は相撲と酒をやめると宣言したと言われています。明治天皇は西郷らの指導により君主としての自覚を持つようになりました。
西郷の指導と同時に岩倉具視ら政府首脳が宮廷内の改革も行いました。太政官から出された『万機親裁の布告』によれば、天皇は表の御座所で政府首脳と面談して政務を執ることや政務を執る御座所には女官の出入りを禁止することが決まりました。
また、天皇は政府の選んだ識者から時勢の勉強をすることや乗馬の訓練をすることも決まりました。天皇は君主となり、君主としての自覚を求める内容です。江戸時代まで、天皇は政治と私生活に関わる部分を御所の中で済ませていましたが、1869年に政治と私生活の部分を切り離します。天皇の私生活に関わる部分は宮内省が管理しました。戦後は宮内庁が管理しています。
西郷隆盛の死を聞いて明治天皇は・・・
西郷隆盛は西南戦争で自害して亡くなります。明治天皇は西南戦争で西郷が死んだと聞くと、思い出して涙を流していたと言われています。日露戦争の後、明治天皇は本当に自分のことを思ってくれたのは西郷隆盛だったと泣いていたという記録も残されています。
明治天皇は世界的に名声が高く、海外では日本史における最も偉大な天皇だと高く評価されています。世界的に高く評価された天皇になれたのは西郷隆盛の教育的指導の成果と言えるでしょう。明治天皇は晩年、親身になってして指導してくれた西郷隆盛を懐かしんでいたようです。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
今回は明治天皇の教育係としての西郷隆盛と西郷が明治天皇に与えた影響について取り上げました。明治天皇は世界中の人々から高く評価されていますが、西郷隆盛の教育的指導の成果だったとは意外かもしれません。西郷隆盛の明治天皇への教育的指導を現代の社員教育やスポーツの世界での指導に活かすことができるのか注目したいと思います。戦前の宮内省(現在の宮内庁)ができたきっかけが、明治天皇の女官あさりなど君主としての自覚のない振る舞いだったとは意外でした。終わりに、明治天皇と西郷隆盛のエピソードについて紹介します。
西郷隆盛は明治天皇に対して教育的指導をしていましたが、西郷が明治天皇に拝謁したときにズボンのボタンが開いていて局部が露出していたことがありました。明治天皇は西郷からどんなときでも痛いと言ってはいけませんと指導されます。以降、病床でも医者に痛いと言いませんでした。西園寺公望は天皇から西郷に痛いと言ってはいけないと言われたと記録で残しています。
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