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ダンディズムの語源になったオシャレ紳士[ボー・ブランメル]とは?

2024年4月26日


ジェームズ・カワポン kawauso

 

男性の皆さん、あなたはダンディですか?もしくはダンディと呼ばれた事がありますか?このダンディという言葉は、ただカッコイイだけではなく、粋でストイックである事や、孤高、無口、あるいは辛辣のイメージがあるかと思います。ただ、見た目がハンサムでファッションセンスが良いだけではダンディとは呼べません。では、このダンディという言葉はいつ誕生したのでしょうか?今回は男性ファッションに革命を起こしたイギリスの伊達男、ボー・ブランメルを解説します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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階級社会イギリスで平民の子として誕生

東京大学 kawausoさん

 

ダンディの語源になったブランメルは、本名をジョージ・ブライアン・ブランメルと言い、1778年に平民の子としてロンドンで誕生しました。ブランメルは祖父の時代までは下僕か菓子職人という低い身分でしたが、父がギルフォード伯爵に仕えて財産を成したお陰で、名門イートン・カレッジに入学する事が出来ました。その頃からブランメルのオシャレセンスは抜きんでていて、貴族やジェントリー階級の同級生を驚かせ、ボー(伊達男)の名を欲しいままにしたそうです。

 

 

皇太子時代のジョージ4世と運命の出会い

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

そんな伊達男、ブランメルに運命の出会いがやってきます。まだ10代の頃、農家をしていた叔母の家に遊びに来ていたブランメルは、当時、伊達男として有名だった皇太子ジョージ4世と知り合いになったのです。ジョージ4世は平民出身らしからぬ洗練されたファッションと傲岸不遜な孤高を保つブランメルをとても気に入り、以後、長期に亘って交流し、スポンサーとなり社交界で紹介しました。こうして平民出身のブランメルはイギリスの社交界で華々しいデビューを飾るのです。

 

 

当時のオシャレとは貴族のコスプレ大会

フランス革命

 

ブランメルがデビューした当時のヨーロッパのオシャレ事情は、現在とはおおよそ真逆でした。当時のファッションとは、簡単にいえばいかにお金をかけたかで決まるもので、高い布地で原色のド派手な色を使い、周囲を豪華な刺繍や宝石で飾り立て、男性も女性も衣装を盛りに盛って、いかに奇抜な恰好が出来るかを競いました。出席者全員が紅白の小林幸子や美川憲一、或いは、ベルサイユのバラで登場するような豪華なコスプレに狂奔するのが、当時のオシャレだったのです。

 

 

金持ちのブタは去れ、本当のオシャレはこれだ!

呂布ジーパン

 

一方、平民出身で潤沢な資金に恵まれないブランメルは、当時のファッションリーダーである貴族たちの逆をいきます。まずブランメルは節制して乗馬で肉体を鍛え上げ、素晴らしい脚線美を手に入れるとフィット感が強調されるシャツやパンツ、フロックコートで身を固めたのです。それらはいずれも白か黒、灰色の地味な色合いでしたが、それだけにブランメルの鍛え上げたプロポーションが際立ちました。一説では、ブランメルのパンツはそのままでは、椅子に座る事も出来ないほどタイトだったそうです。当時の貴族は暴飲暴食でブクブク太っている人が多かったので、誰もブランメルのような肉体美は持っていませんでした。こうしてブランメルは、お金をかけたコスプレ合戦だった当時のファッションに対し、鍛えあげた体にフィットするシンプルで装飾の少ない衣装こそが洗練されているという現在まで繋がるダンディズムを打ち立てたのです。

 

 

香水を使わず入浴でデオドラント

お風呂に入る曹操

 

もうひとつ、ブランメルがこだわったのが清潔感でした。ブランメルが生きていた当時の欧州では入浴の習慣がなく、貴族は香水をひんぱんに振りかけて体臭を誤魔化していました。これに対しブランメルは香水を否定し、こまめに入浴する事でデオドラントな清潔感を演出しました。また、ブランメルは清潔感の象徴として常に洗濯した白いネッククロスを首にまきつけていました。このネッククロスは後のネクタイの前身ですが、ブランメルはネッククロスの形を決めるために軽く糊付けし2時間もかけて仕上げていたそうです。さらにブランメルは他人が見ない下着まで白一色にし、洗濯も田舎の洗濯屋さんに依頼していました。理由はロンドンは水が汚いからでした。

 

 

愛想を振りまかず趣味もない孤高の態度

 

また、社交界においてもブランメルは独特のスタイルを貫きました。当時の社交界は同時にビジネスや政治の場でしたから、誰もかれも愛想よく話に応じ、気の利いたトークスキルや深い趣味やスポーツの話題は必須でした。しかし、ブランメルは斜に構えた態度で孤高を貫き、相手が主催者でも、ギリギリ不快にさせないブラックジョークで皮肉な対応を返しました。分かりやすく言うと海外映画祭で外国人記者に対応する北野武監督の受け答えでしょうか?そして、ブランメルは趣味を徹底して軽蔑しました。趣味に没頭して我を忘れるなんて猿じゃあるまいし、人間であれば耐えがたいと発言し、趣味自慢の名士たちの頬を引きつらせ、スポーツに関しても服装が乱れるし汗をかくからしないとバッサリ切ってスポーツに人生を捧げた紳士達の表情を凍りつかせています。ブランメルは、この上品な北野武トークを国王ジョージ4世相手でも貫き、やがてイギリスだけでなく、欧州中の社交界で持て囃され、ブランメルが出席するかしないかでパーティーの格が決まるとまで言われる時代の寵児に成り上がったのです。

 

 

まとめ

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

ブランメルは平民の子に生まれ、貴族のような潤沢な資金に恵まれませんでしたが、それを逆手にとって自分を鍛えあげて美しいプロポーションを手に入れ、シンプルでシルエットが強調される白と黒を基調とした衣服でカネに飽かせた貴族のコスプレ大会と化したファッション界を一変させました。彼は生き方自体がファッションの一部のようであり、晩年は恵まれませんでしたが、現代まで続く男性の美意識、ダンディズムの境地を開いた革命児だったのです。

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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