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韓遂の裏腹な思惑![潼関の戦いの真実を暴く]

2024年6月29日


 

韓遂

 

 

韓遂(かんすい)馬超(ばちょう)と手を組んで、天下の半分を持っていた()曹操(そうそう)と対決します。結果ははじめての三国志の読者なら知っている通り、曹操の勝利終わります。

 

李カク・郭祭り27 樊稠、韓遂

 

この戦いを「潼関(どうかん)の戦い」と呼びます。今回はこの戦いに馬超と共に参加しながら、あんまり積極的に活躍しなかった韓遂についてご紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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潼関の戦いはどうして敗北したのか

韓遂と夏侯淵

 

この「潼関の戦い」はどうして敗北したのでしょうか。原因の一つに韓遂が積極的にこの戦いに参加しなかった事が挙げられるでしょう。でも韓遂は最初から馬超に協力しなかったわけではありません。最初は彼も馬超に協力的な姿勢を見せていたのです。

 

 

潼関の戦いが起きたときは馬超に協力的だった韓遂

韓遂

 

韓遂は馬超が曹操に反旗を翻したと聞くと自ら軍勢を率いて馬超と合流。韓遂は軍勢を率いて曹仁軍へ攻撃を仕掛けています。また三国志演義での韓遂は涼州の豪族達を率いて、馬超と一緒に曹操軍と戦います。この戦いで韓遂は一緒に参加した豪族達の何人かを討ち取られてしまいますが、めげずに曹操軍と幾度も戦いを行います。

 

このように韓遂は馬超に非協力的ではなく、むしろ積極的に馬超と一緒に曹操軍と戦っているのです。その後韓遂は積極的に戦うことをしなくなってしまい、潼関の戦いは敗北で終わってしまいますが、彼の中で何が起きたのでしょうか。  

 

韓遂は馬超に非協力的になっていく

曹操

 

韓遂は馬超が曹操に反乱を起こした当初、積極的に曹操軍と戦っていました。しかし韓遂はある日を境にして、馬超に協力的じゃなくなってしまいます。どうして韓遂は馬超に協力的じゃなくなったのでしょうか。一つは馬超や馬超に協力的な涼州の豪族達に疑われていた為です。

 

韓遂は潼関の戦いが行われている時、曹操と二人きりであって昔話をした事がありました。この時馬超らが「何を話してきたんですか」と尋ねられます。韓遂は「大したことは話していないぞ」と伝えます。確かに曹操と二人きりであって昔話しかしていないから、大した話なんてしていません。しかし馬超達は韓遂が大事な話を曹操とした事を秘密にしていると勘ぐってしまいます。またあるとき曹操から韓遂宛に手紙が届きます。

 

韓遂と馬超

 

 

韓遂は曹操から来た手紙を見たとき黒く塗りつぶした部分が多く有り、不思議に思います。馬超は曹操からの手紙が韓遂の元に届いたことを知ると、韓遂にその手紙を見せるように伝えます。韓遂は馬超の要請に応じて曹操から手紙をそのまま馬超へ見せるのでした。

 

馬超は韓遂から曹操の手紙を見せてもらい、黒く塗っている部分が多すぎてどうしたのか訪ねます。すると韓遂は「わからん。」と一言だけ漏らすのでした。馬超は韓遂に手紙を返すと曹操との会見での出来事と合わせて、ますます彼を疑ってしまうのでした。

 

歴史書には韓遂の気持ちなんて書いていませんが、推測することは出来ると思います。レンの推測は馬超らの態度を見て、韓遂が自分が馬超や西涼の豪族達から疑われている事を知っていたのではないのでしょうか。韓遂が馬超から疑われていることを知っていたからこそ、一気にやる気をなくしてしまい、馬超へ積極的に協力するのをやめたのではないのかなと思います。

 

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結局韓遂は腹の中で何を考えていたのか。

韓遂と劉備

 

潼関の戦いは曹操軍の勝利で終わります。その原因は韓遂と馬超の間を引き裂いた事が挙げられるでしょう。ではこの潼関の戦いの中、韓遂は腹の中で何を考えていたのでしょうか。これも歴史書には書いていませんので、推測になってしまいます。韓遂は悔しい気持ちを持っていたと思います。なぜ韓遂が悔しい気持ちを持っていたのか。

 

それは自分が曹操と卑しい事をしていないにも関わらず疑われたからだと思います。実際韓遂は曹操と寝返る約束や降伏する約束なんてしていません。それにも関わらず馬超に疑われてしまい、悔しかったのではないのでしょうか。その悔しさを引きずっていたと思われる行動があります。

 

それは馬超が潼関の戦いで敗北した後、涼州で態勢を立て直して、暴れまわっていた時です。韓遂は馬超が涼州で暴れまわっている事に連動して曹操軍へ攻撃を仕掛けています。韓遂がどうして馬超と連動したのか。それは潼関の戦いで自分の潔白を証明するため、馬超と連動して攻撃を仕掛けたんだと思います。皆様は韓遂が潼関のたたかいで何を考えていたと思いますか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

黒田レン

 

今回は韓遂の腹の中をご紹介しました。韓遂の立場になって考えるとちょっと彼の気持ちがわかるような気がします。韓遂は馬超と一緒に曹操軍と張り切って戦おうとしているにも関わらず、味方(馬超や豪族達)から疑われてしまうのは、非常に悔しい事だとレンは考えるのですが、皆様はどのように思いますか。

 

参考:ちくま学芸文庫 正史三国志魏書等

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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