群雄たちがその双肩に国の命運を背負って荒野を駆け巡っていた光景がまざまざと浮かび上がる『三国志演義』。
彼らは一日一日どころかその一瞬一瞬を真剣に生きており、その表情すらもどこか堅苦しくて厳めしいイメージがありますよね。しかし、彼らだって人間ですからだらだらとのんびり床に転がって寛ぐこともありましたし、くだらない話に花を咲かせて子どものように大口を開けて笑うこともありました。そんな彼らが楽しんだという笑い話を集めた本が三国時代には編まれています。
その本の名は『笑林』。魏の邯鄲淳が著した中国最古の笑話集です。現在は既に散逸してしまって手に取ることのできない本ですが、何と『故郷』や『阿Q正伝』の作者として名高いあの魯迅が『古小説鉤沈』の中に数十篇の話を整理して収めているのです。そんなわけで我々も読むことができる『笑林』のお話をいくつかご紹介しましょう。
長い竿が城門にひっかかって…
魯の国の男が竿を持って城門をくぐろうとしたところ、どうにも竿が長すぎて引っかかってしまいます。そこで縦に持っていた竿を横に持ってみたのですがやはり城門に引っかかってしまいます。どうしたものかと悩んでいると、老人がやってきて次のように伝えます。「わしは聖人でこそないが、経験は十分に積んでいる。そんなときは鋸で竿を真ん中から切ってしまえばいいのだよ。」
あまり笑えないという人も少なくないでしょうが、この話はおそらく経書の中の知識にばかりこだわって経験をないがしろにしている社会への風刺が込められているのでしょう。
忍法!この葉隠れの術
楚の男が老荘思想についての書物である『淮南子』に「カマキリはセミを狙う際に葉に隠れて身を隠す」という一節を見つけます。これを読んだ男はさっそくセミを狙うカマキリが隠れている葉を探しに出かけました。男はカマキリがくっついている葉を見つけて勢いよくその葉をたたき落としたのですが、勢いが良すぎて落とした葉を見失ってしまいました。
そこで、辺りに落ちている葉を全てかき集めて家に持ち帰り、一枚一枚葉を取って構えては妻に向かって「俺が見えるか?」と尋ねたのでした。妻ははじめこそ真面目に「見えます」と答えていましたが、いよいよ面倒になって「見えません」と答えます。それを聞いた男は喜んでその葉を持って家を飛び出し、市場に行って堂々と盗みをはたらいたのでした。しかし、当然その姿は丸見えで、男はすぐに役人にひっ捕らえられます。
県知事の前に引っ立てられた男は尋問を受けた際に『淮南子』を読んでカマキリが隠れている葉を構えれば他の人に自分の姿が見えなくなると思ったと白状。それを聞いた県知事は腹を抱えて大爆笑し、その男を無罪放免したのでした。書を読んで実践するのはいいことなのですが…。
せむしさえ治れば…
飽食の時代の今には考えられませんが、昔はビタミンD不足で背骨がかがまって弓なりになってしまうせむし(くる病)という病が流行っていました。昔、平原(山東省)にはそのせむしを治す達人がいました。「私が治療して治らないのは100人に1人くらいだと」豪語する達人。そんな彼にひどいせむしで悩んでいた人が治療をお願います。
すると達人はせむしで悩む人に「ではそこにうつ伏せになって寝てください」と言い、言う通りにうつ伏せになった病人の背中に乗って思いきり足を振り上げました。その様子に気がついたせむしの人はすぐに飛び上がり、「私を殺す気ですか!」と憤慨。
しかし、達人は次のようにもう反論。「私はあなたの背中を真っ直ぐにしてあげたいだけだ!あなたが死ぬかどうかなんで知ったこっちゃないよ!」いやいやいやいや!
こんな落語あったような…
ある集落の田舎者たちが一緒に葬儀に出ることになりました。しかし、葬式の礼など知らない彼らは右往左往。そんな田舎者の中である男が田舎者たちに次のように言いました。「俺少しなら礼を知っているから、とりあえず俺の真似をすればいいよ」それを聞いた田舎者たちは一安心。
式場に到着すると、礼を知るという男はさっそくむしろの上に平伏します。これを見た田舎者たちは、むしろの上ではなく前の人の背中にくっついて平伏。続いて列を作って並んでいる際に礼を知るという男がうっかり後ろの人の足を踏みつけて「馬鹿!」と叫びました。田舎者たちはこれも礼の作法のうちだと思い込み、次々に後ろの人の足を踏んで「馬鹿!」と怒鳴りつけ、列の最後尾の人は近くにいた喪主の足を踏んで「馬鹿!」と怒鳴りつけたのでした。
三国志ライターchopsticksの独り言
こんな話、日本の落語にもあったような…。ピリッと風刺のきいたものから心の底から笑えるものまで様々な『笑林』。皆さんも是非手に取って読んでみてはいかがでしょうか?
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