はじめての三国志TVをご覧の皆さん。1週間お疲れ様でした。今回のお疲れキャラは劉備です。
劉備の息子といえば、劉禅が有名ですが、劉禅以外にも劉備には息子がいました。
劉永もその1人で、221年に魯王になっています。ん?魯って豫洲じゃないの?蜀の支配下にないよね?
そう思った人は鋭い。蜀は再興した漢という位置づけなので今は奪われていても、いつか中華全土を回復するぞと名前だけは魯王を置いたのです。
この劉永は、なかなか骨のある公子で黄皓について激しく諫言した結果、黄皓に疎まれて劉禅に讒言を吹きこまれ以後、蜀滅亡まで劉禅に朝見を許されませんでした。
蜀滅亡後に劉備の子孫たちは、洛陽に移動させられますが永嘉の乱のとばっちりで皆殺しになります。しかし、唯一、劉永の孫の劉玄が脱出して先祖の土地である益州に逃れ、成漢を建国していた李雄に迎えられ安楽公として迎えられました。
その後も劉玄は長生きし347年、東晋の大司馬桓温が成漢を滅ぼした時また劉玄は成都で存命だったそうです。劉備の子孫は時々長い旅をするそういうDNAなのかも知れません。