皆さんは子どもの頃イソップ物語を読んだことがあるでしょう。
イソップ物語といえば「ありときりぎりす」や「北風と太陽」あたりが有名どころですが、皆さんはこのようなお話をご存知ですか?田舎に住んでいるネズミが町に住んでいるネズミを田舎の家にご招待。
田舎のネズミがご馳走を振る舞うべく、畑に行って麦やトウモロコシを引っこ抜いていると町のネズミはその様子を鼻で笑って次のように言いました。「こんなものがご馳走?町で暮らせばもっと素敵なものが食べられるよ。」
それを聞いた田舎のネズミは町のネズミの家に行ってみることに。
町にはパンやチーズ、お肉などがたくさん…。さっそくご馳走を食べようとした2匹ですが、人間に見つかって追い立てられてしまいます。そのようなことを繰り返しているうちに嫌になった田舎のネズミは田舎に帰ることに。
「こんなに危険なところはごめんだ!安全な田舎の畑の方がいい!」
「田舎のネズミと町のネズミ」というお話ですが、この物語を彷彿とさせるエピソードを持つ人物が中国史の中に登場しています。
彼の名は李斯。
秦に仕え、ついには丞相にまでのぼりつめた男です。
便所のネズミと蔵のネズミ
秦の臣としてその名を轟かせている李斯ですが、彼はもともと楚の国の田舎町で小役人をしていました。そんな彼はあるとき便所に住むネズミを見かけます。
便所に住むネズミは汚物を食らい、人や犬の気配を感じては驚いて逃げていく…。李斯はそんな便所のネズミに今の自分の姿を重ねました。
「この戦乱の世で小さな町で日々戦火におびえながら暮らしている自分はまるでこのネズミのようだ。」
しかし、また別の日に食料を保管している蔵に暮らすネズミを見かけた李斯。
李斯はそのネズミを見て驚きます。「ネズミというのは人や犬を恐れるものだと思っていたのに、蔵に住むネズミはまるで人を恐れないではないか!」
便所のネズミと蔵のネズミを見比べた李斯は「人が堂々と振る舞えるかそうでないか、その才能を活かせるか活かせないかは環境次第なのだ」と悟ります。そして李斯は便所のネズミから蔵のネズミになるべく一念発起。性悪説で有名な荀子に師事し、その後大国・秦に入って呂不韋の食客となったのでした。
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艱難辛苦を乗り越えてついに秦の丞相に
呂不韋のとりなしで始皇帝の近侍となるなど順調に出世していた李斯でしたが、他国出身の臣・嫪毐による反乱が起こったことによって同じく他国出身の李斯の立場も危ぶまれることになってしまいます。
秦国内で他国の臣を排斥しようという運動が起こり、ついに逐客令が出されることに。李斯ももちろん追放される者としてやり玉に挙げられました。
しかし、李斯は後世にも遺されている名文「諫逐客書」を提出することによって逐客令の撤回に成功。このことと呂不韋の自決によって始皇帝の信頼をますます得た李斯でしたが、今度は同門にしてライバルの韓非が登場します。
一難去ってまた一難!
李斯は自分の立場を脅かされることを恐れて始皇帝に韓非の讒言を吹き込み、韓非に毒を飲ませてうまいこと始末。嘆願書で首をつなぎ、ライバルを蹴散らした李斯は中華統一を果たした始皇帝から丞相の地位を授けられるに至ったのでした。
やっぱり便所のネズミが良かった…
丞相の地位を手に入れた李斯は政治でその手腕を発揮していましたが、始皇帝が行幸中に亡くなってからその力に陰りが現れます。趙高に丸め込まれて始皇帝の末っ子・胡亥を無理矢理即位させ、趙高による傀儡政権を実現させてしまったのです。李斯はこの失敗を取り返すべく諫言を重ねたのですがついに聞き入れられず、罪を擦り付けられて腰斬という恐ろしい刑に処されることに。
李斯は処刑直前、共に処刑される次男に対し「故郷でお前と一緒に狩りをするという私の夢はもう叶わないのだな…」とこぼしたそうです…。李斯はその最期に便所のネズミと蔵のネズミのことを思い出し、便所のネズミとして生涯を終えていればよかったと後悔していたのかもしれません。
三国志ライターchopsticksの独り言
イソップ物語の「田舎のネズミと町のネズミ」もそうですが、どこに住んでいても一長一短です。李斯は蔵のネズミの良いところだけを見て飛び出してしまいましたが、最期の最期に便所のネズミの暮らしの良さに気づいたのでしょう。
李斯自身、自分の人生を後悔することが多かったでしょうし、李斯に対する後世の評価は悪いものが多いですが、彼が遺した功績もまた大きいものだったということを思い出してほしいなと思います。人生もまた、一長一短ですね。
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