最近のキングダムで登場した不気味な宦官、趙高(ちょうこう)。今は秦王政と何の関係もありませんが、この後、政が始皇帝になった後から、非常に寵愛されて、側近として仕えるようになります。
そして、始皇帝没後は、史上最悪の宦官として後世に悪評を残すのです。さて、本編キングダムでは、そこまで行くか分かりませんが、はじさんでは、趙高の暴虐と末路までを辿ってみましょう。
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罪を得て去勢され、秦の宦官に抜擢
趙高の前半生については分かっている事が少ないのですが、閻楽(えんらく)という義理の息子がいる事から、女児がいた事は推測できます。つまり、大人になってから、自ら宦官になったか、或いは、何らかの罪に加担して連座制で宮刑を受けたかでしょう。
趙高は、基本、真面目で秦の法律に詳しく法律の事は直ぐ返事が出来ました。始皇帝(しこうてい)は、これを便利に思い趙高を側に置くようになります。さらに末っ子の胡亥(こがい)の家庭教師に趙高を任命しました。
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始皇帝、五回目の巡幸の最中に死去、趙高の野心が爆発する
中国の人民をこき使い、傍若無人に振る舞った始皇帝は、五回目の巡幸の途中で死去します。しかし、この時、始皇帝は極端な猜疑心の塊になっていて、寵臣の趙高と僅かな人間以外とは面会しなくなっていました。始皇帝の死骸は轀輬(おんりょう)車という温度調節が出来る車に置かれたままで、その死を知っているのは、医師と趙高位しかいませんでした。
始皇帝は不老不死に執念を見せますが、同時に自分の死後の遺言には今は北方で匈奴に備えている長男の扶蘇(ふそ)を呼び寄せて二世皇帝に立てるようにと書いていました。しかし、そうなれば扶蘇とは何の繋がりもない趙高はお払い箱です。最悪、始皇帝の悪行の責任を取らされ誅殺される可能性もあります。
「扶蘇に皇帝になってもらうわけにはいかぬな・・」
密室の中で趙高は、始皇帝の遺言を書き換えます。長年、始皇帝の側にいて、その字を代筆した事もある勤勉な趙高にとり遺言の偽造は難しくありませんでした。
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丞相、李斯(りし)を巻き込む!
しかし、趙高は飽くまで後宮の仕事をする人間に過ぎません。この遺言の偽造を可能にするには表の仕事をする秦の丞相、李斯(りし)を巻き込む必要がありました。この李斯も今は呂不偉の配下としてキングダムに出ていますね。趙高は始皇帝の死を知らせて李斯に遺言書の偽造を打ち明けます。李斯は最初、とんでもない事だと反対しました。
「何をノンキな事を、、扶蘇が二世皇帝になれば、側近の蒙恬(もうてん)が丞相になるは必定、あなたは用済みです。それに、秦の歴史では王が変わると、前の重臣が粛清されるのが習いではありませんか?それとも、李斯殿は一つも悪事をした事がないとでも?」
李斯は脂汗をかいて、趙高の計画に乗りました。蒙恬もキングダムに登場する爽やかイケメンの青年ですが、後には、始皇帝の長子扶蘇の側近として北方の匈奴に備えます。趙高は、遺言書を偽造して扶蘇には死を命じ、二世皇帝には、末っ子の胡亥を立てると書きました。
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趙高、郎中令に就任して皇帝を籠絡し権勢を奮う
即位を渋る胡亥を説得した趙高は、自身が宮殿の全てを取り仕切る為に郎中令に就任し、胡亥にあらん限りの贅沢をさせました。こうして胡亥は外の状況を遮断され、何も知らない暗君になります。
趙高は代わって実務を執り行い、胡亥即位に反対する重臣や、皇族、邪魔になりそうな人間は全て、その親戚縁者に至るまで、尽く、法律知識を駆使して冤罪を造り処刑しました。
その数は数万人とも言われ、帝都咸陽で泣き叫ぶ人の出ない日は無い程でした。趙高の保身の為の愚行により秦を支えてきた名将、功臣は殆どいなくなります。キングダムの漫画に出て来る秦王政を支えた人物やその子孫の大半は、この趙高の手により命を断たれるのです。
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趙高 李斯も殺害、絶対の独裁者になる
趙高の計画に乗った李斯は、趙高のあまりの暴政に恐怖します。既に中国各地では、陳勝・呉広の乱を契機に暴動が多発しているのに趙高は、大した手も打たずに自分の邪魔になりそうな人間を殺しまくっているだけだからです。李斯は必死になって胡亥に諫言しますが、既に趙高に丸め込まれている胡亥は理解出来ませんでした。
趙高は、こうして足手まといになった李斯も冤罪で処刑します。
「浅はかであった、、このままでは万人の血と汗で築き上げた秦が滅ぶ」
李斯は保身の為に趙高の口車に乗った自分を悔いながら死にます。
趙高、皇帝胡亥を馬鹿にする
李斯を葬り絶対権力者になった趙高ですが、いざという時に、どれだけの秦の重臣が自分につくか不安になりました。そこで、座興と称して胡亥の前に鹿を連れてきて言いました。
「陛下、これは御存じの通り、馬で御座います」
胡亥はそれを聴いて大笑いします。
「普段は真面目なそちでも冗談を言う事があるのだな、それは、どう見ても鹿ではないか?」
すると、趙高は、整列する文武百官に1人1人に
「これは馬か鹿か?」と質問して回りました。大半の重臣は「馬」と答え、一部は鹿と答えたり、また無言で回答を拒否した重臣もいました。趙高は、無言、或いは鹿と答えた重臣の顔を覚えておき後で、冤罪にかけて全て処刑しました。
胡亥はあまりにも、馬と答える家臣が多いので、自分はおかしくなったのではないか?と不安になり医者に診てもらったそうです。これが有名な、物事の道理を知らない人間の代名詞である、馬鹿の語源になります。
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反乱軍、帝都咸陽に迫る、その時、趙高は!
紀元前、207年、反秦連合軍の一角である、沛の劉邦(りゅうほう)率いる楚軍が咸陽に迫りました。趙高は、もはや胡亥に嘘を言って騙しとおす事は不可能と悟ります。そして、胡亥を殺して、これまでの暴政の責任をなすりつけ、あろうことか、自分は被害者のような顔をして劉邦にすり寄ろうとします。
ひっでー、余りにも汚いヤツです!!しかし、劉邦は趙高の手紙を相手にする事はありませんでした。進退極まった趙高は、今度は自分が死に追いやった扶蘇の子供である子嬰(しえい)を3世皇帝に即位させて、全ての責任を覆いかぶせようとします。
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趙高の無残な最期
子嬰は、これまで秦帝国を喰い物にしてきた趙高を激しく恨んでいました。そこで、計略を思いつき
「皇帝に即位してもいいが、呼びつけられるのは不快だ、用事があるなら自分で挨拶に来い」
として、趙高に自分で屋敷に来るように言いつけます。趙高はカチンと来ますが、「一度の辛抱」と作り笑顔を浮かべて、子嬰の屋敷にのこのこやってきます。
それが趙高の最期でした、屋敷には武装した子嬰の家臣がいて、趙高を滅茶苦茶に斬殺します。子嬰は3世皇帝に即位し、趙高の一族を全て誅殺しました。
劉備の先祖、劉邦の男気に溢れる処置
直後に、子嬰は咸陽を開城して劉邦軍を入れます。そして、自分の命と引き換えに咸陽の全ての人間を助けて欲しいと言いますが、劉邦は、子嬰の行いを立派と誉めて命を助け、さらに、軍には略奪を禁止して咸陽を無傷で残しました。
結局、後から項羽(こうう)の本隊が咸陽に入り子嬰は殺されて、咸陽は略奪の被害に遭いますが、咸陽の人々は劉邦の心の広さを覚えていて、劉邦が天下を取るまで協力を惜しみませんでした。
はじめての三国志ライター kawausoの独り言
この劉邦は三国志の英雄、劉備(りゅうび)の遠い祖先です。いかがですか?振舞いや態度が劉備に似ていますよね?
それにしても趙高の悪事は凄まじい限りです。元々は、ただ、真面目で法律に詳しいだけだった趙高が、こうまで変質してしまった背景には、権力を維持する為にやらなければやられるという悪循環に陥った事があります。敵を排除すれば排除するだけ秦は弱くなり滅亡への道を突き進んでしまう。元々、自分で築いたのではない天下を身の程知らずにも奪おうとした事が趙高の悲劇の末路を産み出したかも知れません。
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—熱き『キングダム』の原点がココに—