戦国時代と言えば、なにはなくとも難攻不落な城です。今回はそんな難攻不落の城を築いた戦国の築城名人ベスト3を紹介しましょう。
3位 藤堂高虎
藤堂高虎は近江生まれで、浅井長政、豊臣秀長、徳川家康に仕え、最終的には伊勢津藩の初代藩主となりました。そんな高虎は築城の名人で、城を囲む三重の掘に瀬戸内海の海水を引き込んで水軍基地を併設したり、日本初の層塔型天守、五重天守を築城しました。
家康は高虎を高く評価し、上野東照宮に天海上人と共に祀られています。
2位 高山右近
高山右近は親子二代のキリシタン大名で、織田信長や豊臣秀吉に仕えました。21歳で高槻城の城主となり、淀川の水を周囲に引き込んで高槻城を難攻不落の名城にしています。秀吉の伴天連追放令に従わず浪人となったあとも、前田利家の招きで金沢城や高岡城を築城。高岡城は僅か200日で築城されたと伝わり、大胆な構造から江戸城や大坂城に並ぶ名城として有名です。
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1位 加藤嘉明
豊臣秀吉に仕えた「賤ヶ岳の七本槍」の1人が加藤嘉明です。嘉明は伊予松山藩や陸奥会津藩の初代藩主です。特に有名なのは伊予に堅牢の城と呼ばれた松山城を築城した事です。伊予には河野水軍でも知られる有力豪族、河野氏がいて嘉明は秀吉の命令で軍事拠点として松山城を築城しました。
松山城は、敵の攻撃に対して城のどこからでも救援に駆け付けられるように、大天守閣、小天守閣、隅櫓などを渡櫓で結んだ「連立式天守」や朝鮮出兵の時に日本軍が築城した倭城で使われた「登り石垣」などを設置しています。築城ばかりではなく、伊予川の改修工事など城下町発展の施策も数多くおこなっています。
まとめ
今回は筆者の独断と偏見で加藤嘉明を築城名人1位としましたが、皆さんの考える築城名人ベスト1は誰ですか?
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