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夷陵の戦いの検索結果
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呉の水魚の交わり?逸話から分かる孫権と諸葛瑾の「交」
三国志で「交わり」というと、水魚の交わり(すいぎょのまじわり)……「水魚之交(すいぎょのこう)」が有…
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孫家を支えた朱治は孫呉の功績者でもあるが呉の命運も縮めた?
三国志の時代、全ての人物たちが覇者を夢見る時代。全ての人々が最初から力を、土地を、兵力を持っていた訳では…
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諸葛弩とはどんな武器?武器から時代背景が伝わってくる?
三国志には色々な武器が出てくるのも面白さの一つであると思います。しかしその武器の中には三国志演義での創作…
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街亭の戦いで蜀が勝っていたら?電撃作戦を狙っていた北伐【if三国志】
歴史に「もしも」はないとは言いつつも、ついついあそこでああしていたら、こうしていたらを考えてしまうのは良…
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王平とはどんな人?降伏することは恥ではない馬謖の副官
蜀(221年~263年)の建興(けんこう)6年(228年)の諸葛亮(しょかつりょう)は魏(220年~26…
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蜀滅亡のスタートである呉との不和について語る
今回は蜀滅亡シリーズという筆者が勝手に読んでいる不穏なシリーズの一つとして、呉を語りたいと思います。呉の…
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蜀滅亡はどこに原因があったの?滅びの「時」を考える
滅びる時は何をしても滅び、滅びない時は何をしていても滅びないのが歴史の面白さであり、胆であるのではないか…
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【if三国志】もしも、劉備が皇帝に即位しなかったら?
三国志の特徴は、両雄並び立たずどころか、3つの勢力が違和感なく並立し、しかもそれぞれが天子を自称して、半…
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麋竺と孫乾がいなければ劉備は野垂れ死にした可能性大
劉備(りゅうび)の恩人と言えば、一番に挙げられるのは諸葛孔明(しょかつこ…
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関羽の死に関わってしまった糜芳の顛末!正当な評価されている?
今回はちょっと趣向を変えて、関羽(かんう)の死に関わってしまっている武将、糜芳(びほ…
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姜維に諸葛亮が期待した「もの」は何だったのか?姜維の評価は難しい
三国志演義では蜀の終わりが物語の終わりとも言えるので、最後の方は諸葛亮(しょかつりょう)の後継者として姜…
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もしも、孫権が早死にしていたら三国志はどうなった?
呉の大黒柱孫権(そんけん)、晩年こそ老害傾向が強まったとはいえ、皇帝即位あたりまでは、複雑な国際状況を巧…
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最後に残された謎、呂蒙の死とその死因を考察
最後には味方に裏切られ、魏と呉の同盟軍に敗れた関羽(かんう)。三国志…