孫堅が見つけた伝国の玉璽は、政権の正統性を象徴する至高のアイテムでした。
現代の中国でも、観光地の露店では、玉に名前を彫って即席で印鑑を作ってくれるサービスがたくさんあります。けれど、書道家の方など、一部の方を除いて、日本ではあまりなじみがない文化かもしれません。
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玉(ぎょく)が大好きな中国人
私見ですが、中国は玉(ぎょく)好きな方が多いのではないかと思います。若い女の子でさえも、玉の腕輪をつけたり(これがまたすごく重いのです)、玉のネックレスやストラップをつけたりするのを好む方が多いです。日本であれば、貴金属やジュエリーの飾りをつけるような感じです。
少し中国における玉について、考えてみたいと思います。
玉とは?
タリム盆地のホータンで採れる軟玉を指すことが多いです。角閃石の一種で、硬度は5~6です。ダイヤモンドなどの宝石や、翡翠などの硬玉と比べて柔らかめの石です。
古くは殷代の頃から、中原に運ばれてきていたのが確認できます。シルクロードよりも以前に、西域と中国をつなぐ玉の道があったということになります。
色彩によって、白玉、黄玉、赤玉、碧玉、玄玉(黒)と呼びます。現代では、ほとんどよい玉は彫りつくされた感がありますが、それでも数年に一度、巨大で質のいい玉が産出されて、すさまじい高値で取引されたりしています。
古代中国においての玉
玉器は、王や貴族の権威を示すために使われました。玉は、徳を守り、幸運をもたらすお守りのようなものでした。
また、古代中国では、人は死んでも魂が宙をさまよっている状態であり、肉体が腐らなければいつでも戻って来られると考えられていました。遺体の目や鼻といったあらゆる穴に玉を詰めておけば、体が腐らないと考えられたようで、貴族たちは埋葬にたくさんの玉を使いました。これを「葬玉」といいます。
特に王族などは、玉片を編んで作った「玉衣」を纏ったりもしました。董卓は洛陽で、歴代の王墓を暴いて財宝を盗んだとされていますが、きっと、こういうものをたくさん盗んだということでしょう。