劉備と劉邦

2014年11月18日


 

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劉邦と劉備

 

劉備と劉邦。タイトルは「項羽と劉邦」の間違いではありません。あえての「劉備と劉邦」です。

 

劉邦と家来

 

というのも、中国史を習ったばかりの頃に、混乱して仕方がなかった二人でした。時代的にも近い上、二人とも劉姓です。しかも名前も一文。混乱します!(私が)そこで、二人を比べてみることで、違いをはっきりさせてみようと思いました。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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 劉備と劉邦の違いを分かりやすく解説

劉備

 

 

劉備(161~223)

 

言わずと知れた『三国志』の主人公、劉備。字は玄徳。涿郡涿県出身で、三国時代の蜀の初代皇帝です。

 

土いじりをする劉備

 

地方豪族の一族に生まれたものの、幼いころに父が亡くなり、母と蓆を編んだりして貧しい暮らしをしていました。

 

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

黄巾の乱の際に、義勇軍募集の立札を見て旗揚げし、義兄弟の関羽・張飛とともに手柄を立て、その後、様々な勢力と対立しながら蜀を建国します。

 

劉備

 

劉備は、前漢景帝の子、中山靖王劉勝の末裔を名乗っています。つまり、劉邦の玄孫の子孫ということですね。

 

 

劉邦

 

劉邦(前256または前247~前195)

 

劉邦

 

秦の始皇帝の死後、項羽とともに戦い、天下を手に入れた、漢王朝の初代皇帝です。沛県出身で、字は季。末っ子という意味だそうです。

 

陳勝・呉広

 

中流農家出身で、始皇帝の墓陵建設のときに、全員を逃がして叛徒の仲間入りをします。その後、陳勝・呉広の乱で反乱軍に身を投じ、項羽とともに天下を目指しますが、いつしか二人は対立していきます。

 

張良と劉邦

 

激戦の上、勝利したのは劉邦でした。紀元前202年に漢の皇帝につき、その後、途中に少しの間は空きますが、三国時代を迎えるまで、彼の建てた漢王朝は存続し続けるのです。

 

そのほかの劉姓

サッカーボールを蹴る劉邦

 

『三国志』に登場するのは劉備。その先祖が劉邦でした。しかし、『三国志』には、劉備のほかにも劉姓の人物が登場します。しかも劉備と直接の血のつながりがあるのは、ごく少数で、だいたいは他人か、果てしなく遠い親戚にあたります。

 

後継者を決めるのに困っている劉表

 

劉表 りゅう ひょう(142~208)

字は景升。前漢景帝の子、魯恭王劉余の末裔です。系譜が劉備ととても似ています。荊州を治め、曹操から逃れて来た劉備を受け入れ、新野城を与えました。

 

劉琦 りゅう き(?~209)

劉表の長男。後継争いに敗れ、劉備と行動を共にしますが、まもなく病死します。

 

劉琮 りゅう そう(?~?)

劉表の次男。劉琦の異母弟。父の跡を継ぐものの、すぐに曹操に攻められて降伏します。

 

劉璋 りゅう しょう(?~219)

字は季玉。漢王朝の末裔ですが、劉備と直接の血のつながりはありません。益州を治めていましたが凡庸で、劉備が攻めてくると降伏し、益州を引き渡しました。

 

劉封 りゅう ほう(?~220)

劉備の養子。援軍をしぶったことで関羽が死に、その責任を負って自害しました。

 

劉禅 りゅう ぜん)(207~271)

字は公嗣。劉備の息子。蜀の二代目皇帝になりました。

 

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