三国志では様々な武将の武器が登場します。
また鎧も鉄を多用したものが出てきた時代でした。
後漢時代は鉄は専売品とされてきましたが、じゃあその専売ってナニ?
という事で、鉄と専売制度のお話をしようと思います。
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中国大陸は鉄鉱石の宝庫
中国はユーラシア大陸の中でも、
数億年前から大陸の融合や分離が行われていない安定した地層を持つエリアで、
こうした地層には鉄鉱石が多く眠っています。
三国時代の頃でも華北、東北、蜀、江南湾岸地域などが産出地で、
あまり高度な採掘技術がなくとも容易に得ることができました。
漢末期頃の製鉄技術は産業革命直前の西欧並み
加えてその技術は高く、何と後漢末期頃の製鉄技術は産業革命直前の西欧並みでした。
これは古くから磁器の制作(1300℃近い高温を必要としました)と
青銅器(銅と錫の合金で殷以前から高度な品を作っていた)の製造技術が発達しており、
高温炉と銑鉄・鋳鉄技術をいち早く取り入れたからだと言われています。
紀元前5世紀頃から高温炉による精度の高い鉄を造り、紀元前3世紀頃には鋼が造られ、
前漢の時点で炭素を均質に含んだ、かなり良質な鋼が造れるようになっていました。
前漢には鉄の専門家も存在していた
前漢には鉄を専門に扱う職人や商人が出現し大いに流通しました。
しかし前漢の武帝の頃、匈奴との戦いで疲弊した国庫の財政を立て直すため、
生活の必需品だった鉄、塩、酒を政府の管理のもとで製造・販売するシステムを整備します。
官営の製鉄施設が各地に造られ、価格の安定化にも努めた結果、国庫を潤す事ができました。
武帝の死後には規制に反対する商人・職人からの強い反発があり、
また儒教的観点からも民のものを官が横取りするみだいなのはちょっと…と反対意見が出て、
昭帝の代には『塩鉄論』の元となる大々的な討論会が行われました。
この結果お酒の専売は行われなくなりましたが、
鉄と塩は解かれる事がなく、前漢に比べかなり経済活動が自由だった後漢でも続きました。
後漢は鍛鉄技術が上がり武器に革命
官製工房だったのが功を奏したのかな?と思える事もありました。
後漢は鍛鉄技術が飛躍的にアップした時代でもあり、これは武器に革命を起こしました。
それまでは鉾や戟や刀が主流で、純粋に刺突できる槍はありませんでした。
これは鉄の精度が低かったため、脆いきっさきしか作れず、戦場では役に立たなかったためです。
そのためどちらかというと「重さでたたき切る・突き刺す」ような武器が重用されました。
諸葛亮が槍を発明した?
しかし精度の高い鋼が作れるようになり、細身であっても十分に武器として機能する槍が登場します。
おそらく矛を扱いやすいように改良したのでしょう。
諸葛亮が槍を発明した…なんて伝説が残っているくらいですから、
後漢末から晋の間の騒乱で進化した武器だったのでしょう。
前漢・後漢で極めた製鉄の技が、三国時代に武器として開花する…
そんな時期だったのでしょうね。
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