范蠡(はんれい)とはどんな人?越王勾践を助けた謎の天才軍略家

2016年2月25日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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天才軍師范蠡、越から去る

 

勾践は復讐を果たし、大いに浮かれていました。彼のその姿を冷めて見ていた人物が居ました。天才軍師范蠡です。彼は密かに越を脱走します。

 

范蠡が脱出した理由

 

勾践を補佐し、越を南方の覇者へ押し上げた天才軍師范蠡。彼はなぜ越から去ったのでしょうか。その答えは彼が文種へ送った手紙の中に隠されていました。范蠡は越を去る前、共に越王勾践を助けた文種へ手紙を送ります。

 

「ウサギを狩り尽せば、ウサギを追っていた猟犬は

 

煮て食われてしまう。また飛ぶ鳥がいなくなれば、鳥を射ていた弓はしまわれて使われる事がないと聞いた事があります。今越王は復讐を果たし、われらに感謝を述べていますが、歳月が流れれば必ずわれらを除こうとするでしょう。私はそのような事が起きる前に越を去りますが、あなたは逃げないのですか」と手紙を送ります。文種はこの手紙を読み、病と称して家に閉じこもり勾践の元へ出仕しなくなりました。しかし彼は家に閉じこもった事で、謀反の疑いをかけられ、処刑されます。

 

商人として大成功

 

越を出た范雎は斉に行きます。彼は鴟夷子皮(しいしひ)と名を変え、商人になります。軍略や謀略で活躍した范蠡は、商人としても優秀で、すぐに大富豪となります。斉王は巨万の富を築いた大富豪の正体を范蠡だと知り、使者を差し向けます。范蠡は自らの正体がばれた事で、今まで築いてきた富をすべて他人に譲り、斉を出て、宋の国へ移ります。宋へ移った范蠡は、ここでも商人して成功し、巨額の富を築き、平穏な老後を送ります。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

范蠡は越王勾践の復讐を手伝った忠臣として、活躍します。また彼は勾践の復讐が完了すると、自らが獲得した地位を惜しげもなく捨て自らに迫る危機を回避した処世術は、天才軍師ならではの身のこなしだと思います。さらに商才も豊かでどこの国に行っても巨万の富を稼ぎ出す事の出来る能力をもって居ました。日本でも范蠡の名前は知られており、日本の南北朝時代の後醍醐天皇の家臣である児島高徳(こじまたかのり)は「天勾践を空しゅうするなかれ。時に范蠡無きにしもあらず」という俳句を送ります。この俳句の意味は、後醍醐天皇を勾践に例え、范蠡はいずれ現れますよと励ました。俳句となっており、海を越えて日本にまで范蠡の忠臣ぶりが、伝わっています。

 

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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