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キングダム登場武将の哀しすぎる最期の記録…これが戦国の現実

2024年12月13日


 

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kingdom-1 キングダム1巻

 

キングダム」は、約2200年前の中国・春秋戦国時代を舞台に、天下の大将軍を目指す少年・信の成長を描いた物語です。

 

李信(キングダム風)

 

戦争孤児として厳しい環境で育った信は、幼馴染の漂とともに「天下の大将軍になる」という夢を抱いていました。

 

李信(キングダム)

 

しかし、ある日漂を失い、深い悲しみに暮れます。そんな中、信は漂と瓜二つの若き秦・嬴政と出会います。

 

嬴政(始皇帝)

 

まだ弱小の王である嬴政もまた、中国を統一し、長く続く戦乱を終わらせるという壮大な夢を抱いていました。

飛信隊の信と仲の良い政(始皇帝)

 

 

信は嬴政に仕え、共に中華統一を目指し、数々の激しい戦いに身を投じていくのです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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キングダムの主要キャラクターの死亡一覧

三国志のモブ 反乱

 

キングダムは今から2200年前の古代中国の春秋戦国時代を舞台としています。

 

始皇帝

 

この時期は動乱の時代であり、また、ようやく乱世を統一した秦は15年で滅亡してしまうので、残念ながらキングダムの登場キャラクターにも悲惨な最期を迎えた人物は多いです。以下に、悲惨な最期を迎えたキャラの一覧を掲載します。

 

名前 最期 詳細
王騎 戦死 王騎は紀元前244年、馬陽の戦いで趙の三大天龐煖と死闘の最中、背後から矢を射られ、一瞬の隙を突かれて龐煖に殺害されました。
李牧 誅殺 李牧は現時点では、桓騎と王翦を続けて破り無敵の状態ですが、史実では紀元前229年に佞臣郭開の讒言で幽穆王の命令により誅殺される事が決まっています。
桓騎 戦死 桓騎は紀元前233年に宜安の戦いで李牧の計略にハマって趙の大軍に包囲されます。しかし何とか夜陰に乗じて抜け出し宜安城を陥落させるなど奮闘。李牧の大軍を陽動作戦で振り回し、少数になった李牧の軍勢に奇襲を掛けますが一歩及ばず戦死しました。
城内で戦死? 壁は現在でも漫画では存命中ですが、秦王嬴政の弟の長安君成蟜が遠征先の屯留で謀反を起こした時に、これを鎮圧すべく出撃した将軍で城内で討死(壁死)したとされています。そのため、本当はそこで死ぬ予定でしたが、壁死とは城内で死ぬことで人名ではないとの解釈もあり、生き延びました。
昌平君の最期 戦死 現時点で秦国の最高司令官の昌平君ですが、史実では楚の項燕将軍に楚王に擁立され王翦と蒙武に討ち取られる運命が決まっています。
呂不韋の最期 自殺と見せかけ秦を去る 呂不韋は元々趙の商人でしたが、趙の人質として邯鄲に来ていた秦の公子子楚を金になると踏んでバックアップ。子楚が秦に帰還して荘襄王になると秦で大出世します。荘襄王の死後は息子の秦王嬴政の時代に相国にまで昇進しますが、嫪毐の乱に関与した事で失脚し隠居します。史実では自殺していますが、漫画では嬴政に許され秦を極秘に出国して行方をくらませました。これは史実とは異なる最期です。
政(始皇帝)の最期 水銀中毒死? 嬴政は、歴史上の人物であり紀元前221年に中華統一を成し遂げた後、紀元前210年に49歳で死去する事が決定しています。その死因は、不老不死を求めて水銀を服用したための水銀中毒とされていますが、漫画での死因が同じかは、まだ分かりませんし、嬴政が死ぬまで漫画が描かれるかも不明です。
蒙恬の最期 自殺 蒙恬は中華統一後に、秦王嬴政の長男の扶蘇を補佐して30万の大軍で匈奴を北方に追いやり、万里の長城を建設しますが、始皇帝死後に実権を握った趙高の偽の命令で扶蘇と共に自殺する運命にあります。
王賁の最期 不明 王賁は中華統一後まで存命で記念碑に名前を刻まれています。、紀元前219年(始皇28年)通武侯に封じられますが、その後の動向は不明です。しかし息子の王離が秦の将軍として戦っている事から始皇帝死後に吹き荒れた宦官趙高による大粛清を免れたのかも知れません。
王翦の最期 自然死 王翦は李牧に敗れた事で朝廷の信頼を失い現在は閼与で趙を監視していますが、紀元前225年に李信と蒙恬が楚の項燕に大敗した尻ぬぐいでもう一度登場し、函谷関に籠って項燕を撃退します。その後の登場はないので、老衰により死んだと考えられます。結局、王にはなれず仕舞いでした。

 

 

李信の最後

逃げる秦王政を追いかける荊軻

 

李信は今後、秦王嬴政の暗殺を命じた燕の太子丹を斬る手柄や、紀元前221年には、蒙恬や王賁と共に六国の最後に残った斉を滅ぼして嬴政を中華統一に導きます。

 

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しかし、その後の事については記録がありませんが、子孫がいる事から中華統一後も生き延び、寿命で死んだ可能性もあります。

 

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王騎将軍の最期

王騎 キングダム

 

王騎は旧秦の六大将軍で、偉大な昭襄王が死去した後、戦争への興味を失い、半隠居状態でした。しかし、秦王嬴政にかつての昭襄王の面影を見出し前線に復帰、主人公信の師匠として信を鍛えます。

 

亡くなる王騎

 

紀元前244年、王騎は馬陽の戦いで趙の三大天龐煖と死闘の最中、背後から矢を射られ、その一瞬の隙を突かれて龐煖の矛に胸を貫かれて討死します。その際に主人公信に矛と共に秦の未来を託しました。

 

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摎(キョウ)の最期

 

摎はキングダムでは、秦の昭襄王の隠し子とされています。娘ではありましたが王位継承争いで殺される恐れがあった事から王の命令で王騎が養育しました。摎は女性ながら無敵の将軍でもありギリシャ式の兜を被って各地で敵を撃破します。

 

王騎に好意を抱いていた摎は城を百落としたら王騎の妻になるとしてプロポーズをしていましたが、百個目の城が落ちたその時、無差別に強者を葬り去るバーサーカー龐煖に理不尽に襲撃され殺害されました。摎の死は王騎に激しい悲しみを与え、誰に対しても基本「さん」づけの王騎が龐煖に対しては呼び捨てにし、強い敵意を隠さない程でした。

 

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李牧の最期

亡くなる李牧

 

趙の最高司令官である李牧は、現時点で桓騎と王翦を続けて破り無敵の状態ですが、史実では紀元前229年に佞臣郭開の讒言で幽穆王の命令により誅殺される事が決まっています。この点については回避不可能でしょう。

 

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桓騎(カンキ)の最期

桓騎

 

桓騎は、第一次趙北部攻略戦で李牧の罠にハマり大軍で包囲されます。しかし、それでも野盗時代に培ったトリッキーな戦法を駆使して桓騎軍は包囲を脱出。大軍で移動する李牧を振り回し、その兵力をバラバラにした所で、残った兵力で李牧本陣に奇襲を掛けます。

 

雷土

 

しかし、あと一歩の所で討ち果たせず、黒桜や厘玉、ゼノウのような古くからの仲間と共に無残な最期を遂げました。しかし桓騎の表情は悲惨な最期の中でも、いつものように自信に満ちていて、死の直前に何かをつぶやきますが、、それが何だったのかは漫画では明示されず、今でもファンの間で憶測を呼んでいます。

 

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壁の最期

壁(キングダム)

 

壁は現在でも漫画では存命中で、なりゆきで犬戎王ロゾを討ち取るなど意外な大金星を挙げていますが、実際には秦王嬴政の弟の長安君成蟜が遠征先の屯留で謀反を起こした時に、これを鎮圧すべく出撃した将軍で城内で討死(壁死)する予定でした。しかし人気がある事や、壁死が将軍壁を意味するとは限らないとする解釈もあり、まだ生き延びています。

 

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昌平君の最期

昌平君

 

現時点で秦国の最高司令官の昌平君ですが、史実では楚の項燕将軍に楚王に擁立され王翦と蒙武に討ち取られる運命が決まっています。

 

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昌文君の最期

昌文君

 

序盤こそ秦王嬴政の側近として活躍した昌文君ですが、現在は左丞相として地位は高いものの昌平君や李斯に比較して影が薄い印象です。史実では、今後も特に何もなく、紀元前224年に病死します。

 

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呂不韋の最期

呂不韋

 

呂不韋は元々趙の商人でしたが、趙の人質として邯鄲に来ていた秦の公子子楚を金になると踏んでバックアップ。子楚が秦に帰還して荘襄王になると秦で大出世します。

 

呂不韋

 

荘襄王の死後は息子の秦王嬴政の時代に相国にまで昇進し、呂氏四柱と呼ばれた昌平君、李斯、蒙武、蔡沢を従え、序盤から中盤にかけて、政治面でも外交面でもスケールが大きい対応をし、秦王嬴政の最強の敵でした。しかし、自身が嬴政の生母と密通している事実を嬴政に握られ、事態を挽回しようとして嫪毐の乱に関与して失敗、失脚し隠居します。史実では自殺していますが、漫画では嬴政に許され秦を極秘に出国して行方をくらませました。

 

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政(始皇帝)の最期

病に倒れる始皇帝

 

政は、歴史上の人物である始皇帝です。紀元前221年に中華統一を成し遂げた後、紀元前210年に49歳で死去する事が決定しています。

 

不老不死を求める始皇帝

 

その死因は、不老不死を求めて水銀を服用したための水銀中毒とされていますが、漫画での死因が同じかは、まだ分かりませんし、嬴政が死ぬまで漫画が描かれるかも不明です。

 

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蒙恬の最期

蒙恬

 

 

蒙恬はエリート出身ながら気さくな性格で、下僕あがりの信にも最初からフレンドリーでした。

 

万里の長城

 

 

そんな蒙恬は中華統一後まで生き残り、秦王嬴政の長男の扶蘇を補佐して30万の大軍で匈奴を北方に追いやり、万里の長城を建設しますが、始皇帝死後に実権を握った趙高の偽の命令で扶蘇と共に自殺する運命にあります。

 

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キングダムの子孫

 

 

楊端和の最期

 

楊端和はキングダムでは、山界の死王と呼ばれる山岳地帯に住む異民族の女領主です。漫画では最初の王都奪還編から秦王嬴政や信に協力しています。

 

剣を持ち戦う楊端和

 

現在は秦国六大将軍ですが、史実では、趙を攻め滅ぼす事に功績を挙げていますが、最後についての記録はないので、漫画でもどうなるかは分かりません。

 

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王賁の最期

王賁

 

王賁はキングダムではエリート騎兵の出身で、下僕出身で歩兵の信とは性格が合わず、何かについて張り合う関係ですが、戦いを共にする中で次第に友情が芽生えています。そんな王賁は、中華統一後まで存命で記念碑に名前を刻まれています。、紀元前219年通武侯に封じられますが、その後の動向は不明です。

 

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王翦の最期

王翦

 

王翦は、無敗の将軍として知られていましたが、キングダムの最近の戦いで李牧に敗れた事で朝廷の信頼を失い現在は閼与で趙を監視しています。

 

ボロボロになりながらも戦う信

 

しかし、紀元前225年に李信と蒙恬が楚の項燕に大敗した後、その尻ぬぐいでもう一度登場し函谷関に籠って項燕を撃退し、楚を滅ぼす切っ掛けをつくる大手柄を挙げます。しかし、その後の登場はなく、老衰により死んだと考えられます。結局、王にはなれず仕舞いでした。

 

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最期に至るまでのキャラクターの成長

成キョウ(成蟜)

 

キングダムで最も成長したキャラクターは嬴政の弟、長安君成蟜でしょう。キングダムの漫画においては嬴政から王位を奪う役どころでエリート意識丸出しの劣等感の塊、人の命を奪う事など何とも思わないような冷血漢ですが、王都奪還編の最後で異母兄の嬴政に引っぱたかれ、幽閉された後は己を見つめ直し、また性格の良い奥さんである瑠衣の存在もあり、王族として国を動かしていく使命感に目覚めていき、嬴政に協力して呂不韋一派の勢力拡大を阻止するなど活躍しました。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

しかし、紀元前239年に軍を将いて趙を撃ちに向かい屯留で駐屯した時に呂不韋に通じた屯留代官蒲鶮が成蟜を捕らえて投獄し、成蟜の名前を騙って秦に対して謀反を起こしました。成蟜はその後、城内の混乱に乗じて脱獄、最愛の妻である瑠衣を救い出して共に逃げようとしますが、蒲鶮に追いつかれ瑠衣だけを逃がして自身は蒲鶮と刺し違えて最期を迎えました。この時には序盤の憎らしい成蟜の姿は微塵もなく、そのあまりの変貌ぶりに感激した読者も多いと思われます。

 

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死亡シーンに焦点を当てた名場面

憤死する麋竺(モブ)

 

キングダムは戦乱の時代に命を削る戦いを繰り広げる漫画なので、主張キャラクターの死は回避できません。特に主人公信に近しい登場人物の最後は読者に哀しみと感動を与えるものです。そこで以下では印象的なキングダム登場人物の死亡シーンに焦点を当てます。

 

尾到 飛信隊のメンバーで尾平の弟です。信が龐煖との戦いで気絶した際、尾到は、自身も重傷を負いながら信を背負って敵陣から脱出。信を安全な場所に運び終えると、少し疲れたと身を横たえ力尽きて息を引き取りました。信への深い友情と、天下の大将軍になるという信の夢を叶えたいという強い願いが感じられる最期でした。尾到には村に結婚を誓った女性もいて、その点でも悔やまれる最期でした。
松左 松左は、飛信隊の初期メンバーで歩兵をまとめる存在でした。槍術の名手として知られ、飛信隊が戦果を積み重ねる中で百人将まで昇進します。温和で冷静沈着な性格で周囲からの信頼も厚かったキャラクターでした。しかし鄴攻めの最中、包囲された新兵を救う為に奮戦している途中、敵兵に背中を刺されます。その最後は信の腕の中で息を引き取るという、非常に感動的なものでした。松左は愛槍を後輩の干斗に託し信の夢である天下の大将軍になることを願いながら、静かに息を引き取りました。
王騎 王騎は馬陽での趙軍との戦いの最中、因縁の宿敵である龐煖との一騎打ちに敗れ、その生涯を閉じます。しかし、致命傷を負った王騎は尚も馬上で指揮を執り続け、趙軍の追撃を振り切ります。その際、主人公信を馬上に乗せて大将軍の見る景色を見せると、そして信に新たな時代の到来を告げ、自分の矛を託すと馬上に座ったままで死亡しました。王騎は主人公信の事実上の師匠で、無敵の強さを誇った事から読者への衝撃は大きく、キングダムファンの間では伝説となっています。
麃公 麃公は、キングダムの序盤、蛇甘平原の戦いの時から登場します。歯がギザギザでイケイケの将軍であり、本能的に戦争の勝敗を決めるポイントを見出す事が出来、それを「火」と表現します。勝機を見出すと味方にどれほどの犠牲が出ても顧みない性格で、そのため武功の割に地位は高くありません。そんな麃公は、函谷関の戦いで極秘に兵力を咸陽に集中させていた李牧の企みを本能で見抜き追撃、武神龐煖と激突します。善戦して龐煖の腕を折った麃公ですが無限の体力を持つ龐煖に追い込まれて致命傷を負い、自身の盾を信に託して「火を絶やすでないぞォ」と遺言して死亡します。信は麃公と同じ本能型の武将なので、その死は深い悲しみと影響を残しました。
桓騎 桓騎は、第一次趙北部攻略戦で李牧の罠にハマり、大軍で包囲されます。しかし、それでも野盗時代に培ったトリッキーな戦法を駆使して桓騎軍は包囲を脱出。大軍で移動する李牧を振り回し、その兵力をバラバラにした所で、残った兵力で李牧本陣に奇襲を掛けます。しかし、あと一歩の所で討ち果たせず、黒桜や厘玉、ゼノウのような古くからの仲間と共に無残な最期を遂げました。しかし桓騎の表情は悲惨な最期の中でも、いつものように自信に満ちていて、死の直前に何かをつぶやきますが、、それが何だったのかは漫画では明示されず、今でもファンの間で憶測を呼んでいます。桓騎の戦いは残忍そのもので、目的の為なら敵兵ばかりか民間人まで平気で虐殺するので、主人公の信には嫌悪感を越えて殺意まで抱かれていましたが、それもまた、過酷な戦争の現実であり、主人公目線では描きにくい春秋戦国時代の影の部分を桓騎が代弁したと言えます。

 

 

各キャラクターの史実での結末

史記_書類_劉邦と始皇帝

 

キングダムに登場する主要キャラクターの史実での最後は以下の通りです。

 

 

名前 最期 詳細
李信 自然死? 李信は紀元前229年に趙との戦いで初めて名前が登場します。紀元前226年には秦王嬴政暗殺を指示した燕の太子丹を捕虜にする手柄を立てますが、翌年の楚攻略戦では蒙恬と共に出陣し、楚の項燕に大敗し秦に逃げ戻ります。しかし、李信は処罰されず、その後も燕を滅ぼしたり、王賁、蒙恬と斉を滅ぼすなど活躍しました。その最期は記録されていませんが、老齢による自然死かも知れません。
王騎 戦病死? 王騎は紀元前244年、同僚の蒙驁が韓を攻めて13城を取る中で死没しています。戦死か病死かは不明です。史実の王騎にはこれという手柄はなく、悲惨と言えば悲惨です。
病死 摎は優れた将軍で韓と趙、西周、さらに魏も攻略しています。紀元前254年に魏を攻めて呉城を奪ったのを最後に記録が途絶えますが、紀元前219年の始皇帝巡幸の時に、瑯琊台刻石に功臣として名前が刻まれている事から、失敗する事無く天寿を全うしたと考えられます。
李牧 誅殺 李牧は趙の辺境、雁門の守備長官でしたが用兵の才能をかわれて登用され、秦の桓騎を打ち破るなど功績を挙げました。紀元前229年、王翦や羌瘣、楊端和の軍勢を司馬尚と迎え撃ちますが、趙の佞臣、郭開が秦に買収され趙の幽穆王に李牧に謀反の恐れありと讒言。王は李牧を解任しますが、李牧は従わなかったので王の放った刺客に誅殺されました。
桓騎 戦死・自殺 桓騎は紀元前233年、趙の肥下を攻めている途中、李牧に撃破され戦死しました。別の説では敗走するも秦王嬴政に許されず秦に帰れませんでした。そこで名前を樊於期と変えて燕に亡命。紀元前226年、暗殺者荊軻が秦王を暗殺するので、首をくれと言ってきたときに、秦王に恨みを晴らせるなら喜んで死のうと首を刎ねて自殺しました。
城内で

戦死

壁は紀元前239年、秦王嬴政の弟の長安君成蟜が遠征先の屯留で謀反を起こした時に、これを鎮圧すべく出撃した将軍で城内で討死(壁死)したとされます。しかし壁とは人名ではない説もあり、そのせいかキングダムの壁は、紀元前230年の段階でも生きています。
昌平君の最期 戦死 昌平君は楚の王族でしたが秦の宮廷で養育され成長してからは呂不韋を補佐していました。嫪毐の乱では昌文君と共に反乱を鎮圧。呂不韋が乱に加担して失脚すると右丞相となります。楚人である事から楚の旧都郢陳の動揺を鎮めるべく派遣されますが、紀元前224年楚が滅亡すると項燕により王に立てられ反乱。王翦と蒙武に敗れ戦死しました。
昌文君の最期 病死 昌文君は楚人ですが、秦に無断で脱走した兄に代わり秦に人質に入ります。嫪毐の乱では甥の昌平君と共に反乱を鎮圧し左丞相となりました。紀元前224年に病死しています。
呂不韋の最期 自殺 呂不韋は元々趙の商人でしたが、趙の人質として邯鄲に来ていた秦の公子子楚を金になると踏んでバックアップ。子楚が秦に帰還して荘襄王になると秦で大出世します。荘襄王の死後は息子の秦王嬴政の時代に相国にまで昇進しますが、嫪毐の乱に関与した事で失脚し隠居しますが、嬴政の猜疑心は解けず、将来を悲観し紀元前235年に服毒自殺します。
政(始皇帝)の最期 水銀中毒死 嬴政は、紀元前247年に秦王として即位し、紀元前230年より9年間で六国を滅ぼして中華を統一します。統一後に始皇帝と名乗りますが、父が早死にだった事から死に対する恐怖心が強く、不老長寿の薬とされた猛毒の水銀を服用。それが逆に寿命を縮め、紀元前210年に49歳で死亡します。しかし、その時始皇帝は巡幸の途中であり、咸陽に帰るまで死は極秘とされたので死後数十日も埋葬できず、死体は馬車の中で腐乱して悪臭を発し、周囲はそれを誤魔化すために周囲に乾物を満載した馬車を並べていたそうです。
蒙恬の最期 自殺 蒙恬は元々は訴訟を扱う文官でしたが、李信と同じく紀元前225年に楚討伐でデビューしました。この戦いでは楚の項燕に大敗しましたが、変わらず用いられ、始皇帝が天下を統一した後は、30万の大軍で北方の匈奴を追い払い、始皇帝の長子である扶蘇を補佐して万里の長城の北を監視していました。しかし紀元前209年に始皇帝が死ぬと、宦官趙高が遺言を改竄、扶蘇と蒙恬に自決を命じる手紙を出します。蒙恬は「遺言が怪しい」と自殺を拒否しますが、扶蘇は甘んじて死を選んだのでやむなく自決しました。
楊端和の最期 自然死? 楊端和は紀元前238年に魏の衍氏を攻めたのが記録に登場した最初で紀元前236年には、王翦や桓騎とともに趙の鄴を攻め、紀元前229年には、趙の首都である邯鄲を包囲しました。その後については不明ですが、前漢時代の淮南王劉安が編纂した淮南子によると蒙恬と共に匈奴を討ち、万里の長城を補修して警戒にあたった可能性もあるようです。しかし、その最期は不明です。
王賁の最期 不明 王賁は、紀元前226年父の王翦と燕を攻め、燕都の薊を陥落させたのが歴史に名前が出てくる最初です。紀元前225年には魏の王都大梁を水攻めで滅ぼし、紀元前222年、李信と共に遼東に進軍して燕王喜を捕え燕を滅ぼし、さらに趙の王族が建てた代を滅ぼしました。紀元前221年には、李信や蒙恬と最後に残った斉を滅ぼし、紀元前219年(始皇28年)通武侯に封じられます。しかし、その後については不明です。
王翦の最期 自然死 王翦は紀元前236年に桓騎や楊端和らと趙の鄴を攻め先ず9城を奪うのが記録の最初です。紀元前229年には羌瘣や楊端和と趙を攻め、紀元前228年には誅殺された李牧に代わって指揮官となっていた趙葱・顔聚を破り趙を滅亡させます。

その後は老齢を理由に引退しますが、紀元前225年に楚の項燕が函谷関まで攻め上ると秦王嬴政の懇願を受けて60万の大軍を与えられ復帰。守りに徹して項燕軍の疲労を待ち、その後項燕軍を撃破し項燕を自殺に追い込みます。以後の活躍は不明ですが老齢で会った事もあり、また誅殺された様子もないので自然死したのかも知れません。

 

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王騎は実在した人物ですか?

 

王騎は史記の秦始皇本紀に登場し、紀元前244年、同僚の蒙驁が韓を攻めて13城を取る中で死没したと記されています。戦死か病死かは不明ですが実在した事は間違いなさそうです。

 

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キングダムの蒙驁は誰に殺されましたか?

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キングダムの蒙驁は山陽攻略編で廉頗に片腕を切断されていますが、どのようなスーパーテクノロジーか不明ですが手当して生存しています。しかし、それからしばらくして老衰で死去しました。

 

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キングダムの李牧は、趙の郭開が秦に買収され幽穆王に李牧が謀反を企んでいると讒言されます。それを信じた幽穆王は李牧の最高司令官の職を解任しますが、当時、王翦と戦っていた李牧は王の命令を拒否しました。そのため増々謀反を疑われ、王が放った刺客により暗殺されています。

 

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キングダムの扈輒はどうやって死んだ?

 

扈輒は李牧失脚後に趙の大将軍になります。二十四万という圧倒的な大軍で桓騎軍を追い詰め、ついには敗走させる事に成功しますが、それは桓騎の罠で死んだフリをしていた桓騎軍は密かに終結し、手薄になった扈輒本軍奇襲します。扈輒は近衛隊百騎とともに脱出を図りますが、行動を桓騎に読まれ朱摩一家に包囲され詰みました。敗北を悟った扈輒は拷問による辱めを受ける事を拒否、桓騎兵たちを道連れにして自殺します。

 

キングダムの王騎将軍はいつ死んだ?

ホウ煖(龐煖)

 

キングダムの王騎将軍は馬陽の戦いで趙の三大天龐煖に一瞬の隙を突かれて討ち取られました。コミックスでは16巻172話継承で描かれています。

 

 

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キングダムの飛信隊で死亡したキャラは?

 

キングダムの飛信隊で死亡したキャラには、尾到、土南、 魯平 、去亥、松左、岳雷 、筏建 、邦 、那貴、脇次、山和、 文穴 、曹火、里斗 黄、等のキャラクターがいます。

 

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キングダムの恒騎はどのようにして死亡しましたか?

桓騎(キングダム風)

 

桓騎は、第一次趙北部攻略戦で李牧の罠にハマり、大軍で包囲されます。しかし、それでも野盗時代に培ったトリッキーな戦法を駆使して桓騎軍は包囲を脱出。宜安城に入り、肥下で住民を虐殺すると虚報を流し、趙軍を振り回し、李牧の兵力をバラバラにした所で、生き残った兵力で少数になった李牧本陣に奇襲を掛けます。しかし、あと一歩の所で討ち果たせず、黒桜や厘玉、ゼノウのような古くからの仲間と共に無残な最期を遂げました。

 

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キングダムの馬陽の戦いで死んだ人は誰ですか?

 

馬陽の戦いで死んだのは秦の怪鳥として知られる旧六大将軍王騎です。王騎は因縁の龐煖との対決で一瞬の隙を突かれ致命傷を負いましたが、最後まで戦い抜き、信に大将軍の心構えを説いて、自身の矛を与えて馬上で絶命しています。

 

 

キングダムは史実に基づいているのでしょうか?

週刊誌を楽しみにするkawauso様

 

キングダムは、史実をベースにしながらも、架空の人物が登場し、史実にはないストーリーを絡ませながら作者の想像力を加えて作り上げられた歴史エンターテイメント作品です。史実とフィクションが絶妙に融合することで、読者を飽きさせない魅力的な物語が展開されていますが、史実を正確に再現した作品ではありません。あくまでフィクションであることを理解した上で楽しみましょう。

 

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キングダムや史実において国が滅びる順番は?

キングダム 戦国七雄地図

 

キングダムや史実における六国が滅びる順番は以下の通りです。

 

国名 時期 概要
紀元前230年 秦の最初の統一目標となり、最初に滅亡しました。
紀元前228年 名将李牧により長年抵抗しますが

讒言で李牧が殺害されると間もなく滅亡。

紀元前225年 王賁により水攻めを受け滅亡
紀元前223年 楚は広大な領土を持ち、秦にとって手強い相手

秦の執拗な攻撃で滅亡。

紀元前222年 秦の東方への進出を阻むために奮戦するも

最後は秦の勢いに押され滅亡。

紀元前221年 六国の中で最も最後に滅亡。

 

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キングダム年表

 

 

キングダムで哀しすぎる最期のまとめ

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キングダムで哀しすぎる最期を遂げるキャラクターについて史実と漫画の双方で徹底解説してみました。皆さんはどんな感想を持ちましたか?

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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