三国時代の船はどうなっていたの?三国志の海戦は目的別に船が用いられていた

2016年6月15日


 

三国時代の船01

 

三国志の呉は国土の中に大小様々な河川が流れていた事から、

船の扱いに習熟しておりました。

また長江近辺での戦では必ず船を用いて戦っていたそうですが、

三国志で行われた海上戦にはいったいどのような船があったのでしょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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北は乗馬術に長けており、南は船の扱いに慣れている

三国時代の船

 

三国志の時代には色々な戦闘用の船が登場します。

特に船の扱いに習熟していたのは呉の国です。

呉の国は領地の中に沢山の河川が流れていた事から、

普通の生活でも船を使っている事が多いです。

古来から北は馬の産地として有名であり、騎馬に長けていた人が多いとされています。

反対に南には河川が多い事から船の扱いに慣れている人が多かったそうです。

 

指揮官クラスの人物が乗る「楼船」

三国時代の船 楼船

 

今回は騎馬の話ではなく三国志に出てきた船のお話です。

三国志の時代にもたくさんの船が登場しております。

特に船の技術に習熟していたのは呉です。

呉は海戦が決まるとまず兵士達を指揮するための「楼船(ろうせん)」を準備します。

この船は将軍や兵を指揮する立場にいる指揮官クラスの人間が乗ることのできる戦艦です。

楼船は船を二つ横につなげた船に櫓などを立てていたそうです。

この船は全体を指揮するため、水上船では一番後ろに陣取ります。

また三国時代には船を鉄で作る技術はないため、船は木でできています。

そのため楼船に火矢が当たると燃える可能性があります。

そのため敵の火矢を防ぐため、

牛の皮を船全体に貼って火が付かないように工夫されています。

また兵士の数も100人前後乗船することが可能で、

敵から攻撃を受けてもすぐに矢で応戦して反撃することができます。

まさに戦艦にふさわしい防御力と攻撃力を備えておりました。

 

水上戦の特攻隊長「蒙衝」

三国時代の船 蒙衝

 

水上戦において先鋒を任される船は「蒙衝(もうしょう)」と言われる船です。

この船は少数の人間しか載っていません。

その理由はこの船が船体ごと敵に突撃して、敵の船を破壊する目的を持っていたからです。

そのため、蒙衝で突撃して船がバラバラになる前に乗っている人達は脱出。

その後、後続の味方の船に拾ってもらうようになっております。

まさに特攻隊長の名にふさわしい名を持つ「蒙衝」です。

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-三国志の雑学, 執筆者:黒田廉
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