三国志の英雄である曹操(そうそう)。
彼は三国志随一の大国である魏を建国した人物ですが、故郷が大好きな普通の人でした。
挙兵してから亡くなるまで事件や精神的に辛いことがあった時などに心と体を癒すために、
帰郷していたそうです。
今回は生まれ故郷が大好きな曹操について触れてみたいと思います。
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いとこの事件に連座して帰郷
曹操の従妹は侯の位になっていた有力者である宋氏に嫁いでおりましたが、
事件に巻き込まれて処断されてしまいます。
この事件のせいで曹操にも被害が及んでしまい、仕事をクビになってしまいます。
曹操はそのため一度故郷に帰ることになりますが、
歴史に詳しいという理由から再び役職に就くことになります。
仕事が辛すぎて故郷へ
次に曹操が故郷に帰るのは黄巾の乱が鎮圧された後の話です。
曹操は黄巾の乱で上げた功績が認められて、東郡太守に任命されることなります。
ここで曹操は一生懸命仕事に打ち込むのですが、曹操をよく思っていない宦官達のせいで、
曹操の評判は首都洛陽で非常に悪くなっていくことになります。
曹操は仕事を頑張っているのに洛陽で自分評価がどんどん悪くなっていくため、
仕事に情熱を持てなくなってしまい、東郡太守の地位を捨てて故郷へ逃亡します。
曹操は故郷に帰ると新しい家を新築し、この新築の家に書物を運び入れ、
狩りをする道具を備え付けることにします。
そして春と夏には読書をして、秋と冬は狩りを行い悠々自適な生活を送ったそうです。
お墓参りのために帰郷
曹操は官渡の戦いで勝利を得ると再び帰郷。
この時は官渡決戦で亡くなった人たちの遺族にいろいろな保障をするとともに、
官渡決戦で亡くなった幼い子供がいる家には養育費や教育費などを与え、
さらに勉学を子供たちができるようにするために学校を作っており、
教育に力を入れていたそうです。
また彼は曹操の若い時にせわになった恩人である橋玄(きょうげん)のお墓参りをしております。
家族を連れて帰郷する
曹操は呉の孫権を討伐するために大軍を率いて南下します。
この時に皇后卞氏(べんし)・曹丕(そうひ)、孫娘などいっぱい居る一族を率いておりました。
彼は大軍を複数の将軍に任せて自ら一族を率いて生まれ故郷に帰郷。
一族を率いての帰郷を曹操がしたことが非常に珍しく、この時彼の年齢は63歳で当時として
かなりの高齢であり、いつなくなってもおかしくない年齢でした。
そのため曹操は最後の帰郷だと考えて一族を引き連れて、帰郷したのではないのでしょうか。
こうして故郷が大好きな曹操ですが、最後の帰郷をしてから三年後に亡くなってしまうのです。
三国志ライター黒田レンのひとりごと
乱世の英雄と呼ばれた曹操がこのように帰郷を繰り返していたのには少し驚きでした。
彼は群雄割拠の時代を生き残っていくためには己の力のみを信じるような人物で、
どんなに彼を取り巻く状況が辛くなっても絶対に同盟者というものを作らないで独力で
難局を乗り切ってしまう人物でした。
そんな人物が故郷が好きっていうのもなんかおかしい気がするのですが、
皆さんはどう思いますか。
レンが考えるに、政治や軍事など常にワントップでやってきた曹操。
上記を相談できる人物は限られており、
常に相談できると人は少なかったでしょう。
また果断な決断をした時や辛い戦いをした後などは、
少しゆっくりとしたいと思うのが人情でしょう。
曹操がゆっくりと何も考えずにできるところは生まれた土地なのでしょう。
生まれ故郷であれば誰に気兼ねすることなくのんびりと過ごすことができますが、
洛陽や鄴(ぎょう)だと家臣の目もあるためのんびりと過ごすことができなかったのでしょう。
だから曹操は幾度も帰郷していたのではないかと思います。
参考文献 講談社 中国の群雄 尾崎秀樹著など
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