軍略にも才能を発揮した蒋済(しょうさい)の進言集


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揚州の名士として曹操に召抱えられた蒋済(しょうせい)。

彼は文官として曹操の幕僚に加わるのですが、

文官としての能力以外にも軍略に優れた人物であることを知っていましたか。

今回は軍略面において彼がどれだけ優れていたのかをご紹介していきたいと思います。

 

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蒋済の優れた軍略その1:合肥を救った進言

 

蒋済は曹操に仕えると合肥の計吏として配属されることになります。

そんなある日合肥へ孫権軍の軍勢が襲来。

この時曹操軍は赤壁の戦いで大敗北しており援軍を合肥へ送る余裕がありませんでした。

しかし曹操は張喜(ちょうき)に千騎ほどの軍勢を与えて合肥へ援軍に赴かせ、

合肥へ向かう途中で軍勢を手に入れるようにと指示を与えます。

しかしこの時各地で疫病が蔓延しており、兵を手に入れることが難しい状態でした。

蒋済は合肥がこのままでは孫権軍に奪われる可能性があると考えて機転を利かせます。

彼は援軍に向かっている張喜へ

歩兵・騎兵4万の援軍が到着している事を知らせる使者を3騎送ります。

張喜の元へたどり着いたのはその内の1騎で残りは孫権軍の捕虜となり、

援軍が到着していることを孫権に話してしまいます。

孫権は曹操軍が援軍として到着していることに驚き合肥から撤退。

レンの予想ですが蒋済の作戦であったと思います。

蒋済は使者として送った者達が孫権軍に捕まってしまうことをあらかじめ考えており、

使者が孫権に捕まってしまえば彼らは抵抗することなく曹操軍の援軍が、

到着したことを話すと予想していたのではないのでしょうか。

曹操軍の援軍が到着していることを孫権が知れば撤退させることができると考えて行ったことでした。


蒋済の優れた軍略その2:関羽の撃退方法を進言

 

劉備が漢中王に就任すると関羽は、

荊州の軍勢を北上させて樊城(はんじょう)を陥落させるために攻撃を仕掛けてきます。

曹操は関羽軍が樊城へ攻撃を仕掛けてきたことを知ると于禁(うきん)、龐徳(ほうとく)らに

軍勢を与えて援軍として赴かせることにします。

しかし于禁は水攻めにあって関羽へ降伏し龐徳は討ち死にしてしまいます。

曹操は于禁と龐徳が関羽に敗北してしまったことを知ると許と樊城が近いことから、

皇帝を連れて鄴へ撤退しようと考えます。

この時、蒋済は曹操へ「劉備と孫権は同盟して我が国に対抗している状態ですが、

ふたりの国の君主は親密なようにしていますが、

内情はあまり良い関係を築いているとは思えません。

そこで孫呉へ「関羽の背後をついて荊州を奪ってしまうのはどうであろうか。

魏は孫呉へ攻撃を仕掛けることはしない」と提案すれば、

孫権は喜んで関羽の背後を攻撃すると考えます。

そうすれば我が軍はこれ以上の流血をしないで、

関羽軍を樊城から撤退させることが出来るのではないのでしょうか。」と進言。

司馬仲達も蒋済と同じような進言を行っており、

蒋済の軍略が司馬仲達に匹敵するほどの能力を持っているとは考えられるのではないのでしょうか。

曹操は蒋済と司馬仲達の進言を取り上げて、

孫呉へ使者をやって荊州へ攻撃するように提案します。

この結果、孫権は関羽軍の守備が甘くなった荊州へ攻撃を仕掛け、

関羽軍は孫権軍の攻撃を知ると樊城から撤退することになります。


蒋済の優れた軍略その3:歴戦の将軍曹仁へ進言

 

曹操が亡くなり曹丕が跡を継ぐことになります。

曹丕は曹操の跡を継ぐと皇帝の位に就任し曹仁ら諸将を率いて孫呉討伐へ出陣。

蒋済も曹仁の部下として孫呉討伐軍に参加することになります。

曹仁は孫呉軍と対峙すると濡須(じゅしゅ)江の中洲へ軍勢を駐屯させることにします。

蒋済は曹仁へ「孫呉は濡須の上流に船を並べております。

今、将軍は中洲に兵を駐屯させておりますが、もし孫呉の軍勢がここを攻撃してくれば、

孫呉軍に対抗することは難しいのではないのでしょうか。」と進言。

しかし大将軍で曹操と一緒に歴戦を戦い抜いてきていた曹仁は、

蒋済の言葉を受け入れることはありませんでした。

しかし結果は蒋済の予想通りで孫呉の軍勢が曹仁が駐屯していた中洲に

攻撃を仕掛けてます。

曹仁は孫呉の軍勢と戦いますが次第に劣勢となってしまい退却することに決めますが、

中洲から退却するのに時間がかかったことが原因で、

曹仁の率いていた軍勢は大敗してしまいます。


  

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

蒋済は文官として曹魏に仕えていながら上記のように、

優れた軍略をいくつも進言しております。

曹丕は孫呉討伐戦から撤退した後、蒋済を呼んで「文武に優れた人物である」と

彼を褒め称えたそうです。

正に文武両道といっていい人物なのではないのでしょうか。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書3 今鷹真・井波律子著など

 

 

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