三国志禁断ゾーン・悲しい人類の「殉葬」に関する歴史


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ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志・禁断のゾーン」のコーナーです。

今回はR15指定です。

 

 

現代では考えられないかもしれませんが、

その昔の人類の文化に「殉葬」というものがありました。

どういうものか簡単に説明すると、主君が死んだので部下も一緒に死んでもらうというものです。

信じられませんね。本当にあったのでしょうか。

三国志の記録に残っているものがあります。

「魏志倭人伝」です。日本じゃないですか。

 

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魏志倭人伝に記述されていた殉葬

 

邪馬台国の卑弥呼が死んだとき塚を築いて埋葬したと記載されています。

そこは問題ないのですが、その後の記述が問題です。

一緒に殉葬された奴婢は百人余りとあります。

奴婢というのは奴隷のようなものです。もちろん人間です。

卑弥呼が死んだときになんと百人の人間が殉葬されているのです。

生き埋めにされたのでしょうか。恐ろしいですね。

卑弥呼のときに百人だったら、曹操の葬儀のときはどのくらいになるのでしょう。

今回はそんな三国志の禁断ゾーンに踏み込みます。


呉の殉死の記録

 

西暦215年の合肥の戦いについては以前にお伝えしました。曹操と孫権の戦いですね。

孫権は張遼の追撃に遭いましたが逃げ延び、九死に一生を得ています。

このときに戦死した呉の武将が陳武です。

陳武は孫権の寵愛を受けていました。

普通は部下が戦死しても主君はその葬儀に出席しないのが普通です。

しかし孫権はこの陳武の葬儀には出席しました。

家族同然に可愛がっていた家臣だったのでしょう。

陳武の庶子である陳表は、

孫権の太子となる孫登の学友として選ばれて英才教育を受けることになります。

家臣の中で陳武だけは孫権にとって特別な存在だったのです。

話は戻りますが、この陳武の葬儀のときに孫権はある命令を下しています。

それが陳武の愛妾への殉死の命令でした。

愛妾というのは、まあ愛人のような存在でしょうか。

その女性に孫権は一緒に死ぬように命じたのです。

そういった文化が三国志の時代にもあったことを物語っています。


殉葬の思想

 

そもそもなぜこのような文化が人類にあったのでしょうか。

どうやら死後もその主君(夫)に仕えるためにこのようなことをしたようです。

古代の殷の時代の遺跡からも発見されているようですね。

その数が二百を超えるものもあったそうです。

きっと権力者が強制したのでしょう。悲しい歴史ですね。

時代が進むにつれ、このような惨たらしい文化は消滅していきます。

とりあえず現代にはありません。一安心です。

絶対に復活させてはいけない文化です。


  

 

曹操の葬儀は!?

 

嫌われ者の曹操ですが、三国志の時代において最大の権力者であったことは事実です。

彼は自身の葬儀に対してどのような要求をしたのでしょうか。

あれだけ悪逆非道の人物として叩かれていますからね。

もしかしたら千人くらいの殉葬を強制したかもしれません。

ちょっと怖いけど調べてみますね。

ん・・・おっ!・・・んー??

曹操の遺言が「三国志」に記載されています。それによると、

「葬儀は簡単にすること。役人も兵士も自分の持ち場を離れぬこと。

墓に金銀などは入れないこと。」それだけです。

何という潔さ。殉葬の欠片もないじゃないですか。

戦時中だから葬儀も手短にね、なんてなかなか言えないですよ実際。

凄いな曹操。

 

関連記事:【三国志の民話】世論に逆らうな!曹操の民心掌握術

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三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

西暦2009年に曹操の陵墓だと正式に発表された「曹操高陵」。

ここから推定60歳くらいの男性の遺骨が発掘されています。

曹操だと言われています。

ちなみにこの陵墓から同時に二人の女性の遺骨も見つかっています。

出産経験のある20歳くらいの女性だと推測されています。

私はノーコメントですが、皆さんはどう考えますか。

 

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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 


 

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