日本史上最大のピンチ、元寇(げんこう)を正面から描いた娯楽チャンバラ時代劇、
それが、たかぎ七彦原作の「アンゴルモア元寇合戦記」です。
現在、コミックス7巻まで出ていて戦いは序盤という所ですが、描写がリアルで、
キャラクターも魅力的に描かれていて、なじみがない鎌倉時代が美麗なイラストで
展開するので、鎌倉時代や元寇を学ぶには最適な漫画です。
何より、たかぎ七彦氏が歴史マニアなので、日本史好きは絶対にハマりますよ。
さて、今回はアンゴルモア元寇合戦記の現在の舞台、文永の役を超簡単に解説します。
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この記事の目次
1274年、10月3日 モンゴル、漢人、高麗、女真連合軍、出陣
1274年10月3日、元帝国の支配下にある高麗王朝の合甫(がっぽ)から、
モンゴル、漢、女真(じょしん)、高麗(こうらい)連合軍が出港します。
・総大将:モンゴル人都元帥(忽敦:クドゥン)
・正司令官:漢人左副元帥・劉復亨(りゅうふくこう)
・副司令官:高麗人の右副元帥洪茶丘(ホンタグ)
―――(モンゴル軍本隊25000名)―――――――――
・都督使:金方慶(きんほうけい)
・女真人の援軍が若干名
―――(高麗の別動隊8000名)―――――――――――
・船泊:最大で900隻
兵力の総数は、水夫も込みで最大40000名
10月5日、対馬の小茂田浜に到着
10月5日、モンゴル軍対馬の小茂田(こもだ)浜に上陸。
対馬の守護代、宗資国(そう・すけくに)が使者を遣わすと突然弓矢を放ってきたので、
八十騎余りでモンゴル軍を攻撃、元の将軍らしき人物を射殺し、
大勢のモンゴル兵を討ち取るが、多勢に無勢で宗資国以下、
一族郎党は全滅します。
モンゴル軍は、虐殺と掠奪の限りを尽くし、多くの島民を奴隷として
大陸に連れ帰っています。
人口密度の低い、遊牧民の間では、労働力になる奴隷は貴重であり
高く売れる商品だったのです。
↑アンゴルモア元寇合戦記は、今、この辺り・・
10月14日、モンゴル軍 壱岐の西側に上陸
10月14日、対馬を起ったモンゴル軍は、壱岐(いき)の西側に上陸、
壱岐守護代、平景隆(たいらのかげたか)は、手勢100騎を引き連れて
海岸に陣を敷いてモンゴル軍に挑むも多勢に無勢で蹴散らされました。
翌15日、平景隆は樋詰(ひづめ)城で一族郎党と自決して果てます。
10月16日~17日 モンゴル軍、肥前沿岸に襲来
10月16~17日にかけて、モンゴル軍は肥前の沿岸を襲撃。
松浦党の肥前の御家人地頭、佐志房(さし・ふさし)と嫡男佐志直(さし・なおし)
次男、佐志留(さし・とまる)三男、佐志勇(さし・いさむ)父子、及び、
同国の御家人、石志兼(いし・かねる)・石志二郎父子等が応戦したが、
こちらも多勢に無勢、松浦党の拠点は壊滅します。
この戦いで、佐志房、佐志直、佐志留、佐志勇が戦死しました。
鎌倉サイド、本格的な反攻準備に入る
対馬上陸から10日以上が経過し、対馬や壱岐、肥前沿岸の惨状が太宰府に伝わり
大宰府は京都や鎌倉に伝令を走らせると共に九州の御家人に召集をかけます。
・集合した九州の御家人勢力(八幡愚童訓による)
・鎮西奉行の少弐(しょうに)氏 ・大友氏 ・紀伊一類、・臼杵(うすき)氏、・
戸澤(とざわ)氏、・松浦党 ・菊池氏、・原田氏、・大矢野氏、・兒玉(こだま)氏、・
竹崎(たけざき)氏・等々
※少弐氏は500騎、白石氏は100騎などの記録はあるが、
他の御家人は不明、元側の史料には日本軍は10万とある。
神代良忠のグッジョブで浮橋が増強され、九州御家人は短期間で博多に終結
しかし、ここで難題が持ち上がります、薩摩や日向、大隅など南九州の御家人が
博多に向かう場合には、九州一の難所と言われる筑後川を通過しないといけません。
当時の筑後川には、正式な橋がなく、船を並べて板を上に敷いた浮橋だけだったので、
移動に時間が掛り、元軍の上陸までに博多に到着するのは絶望的でした。
ところが、ここで筑後の神代良忠(くましろ・よしただ)は一計を案じ、
周辺の船を徴発して浮橋を幾つも造り、南九州の御家人が博多に渡るのを助け、
これにより南九州の御家人は博多到着が早まったのです。
この機転は大きく、モンゴル軍を短期間で追いかえす切っ掛けになります。
10月20日、モンゴル軍 博多湾 早良郡へ上陸
10月20日、モンゴル軍主力である蒙古と漢人部隊は、博多湾の早良郡へ上陸。
そのまま内陸に向かって進軍し、小高い丘陵地である赤坂に布陣します。
この時までに、九州御家人は、鎮西奉行、少弐景資(かげすけ)を総大将に、
博多、息(おき)の浜へ終結しますが、赤坂は丘陵地で馬の足場が悪く、
射撃に不利な為に、モンゴル軍が博多に向かって進軍してから迎え撃つ構えでした。
ところが、肥後の御家人、菊池武房(きくち・たけふさ)は命令に反して、
林の中に陣を敷いたモンゴル勢に奇襲を掛けます。
驚いたモンゴル兵は混乱し、赤坂を放棄して麁原(そはら)へ敗走します。
たまたまとはいえ、大軍のモンゴルを撃退したのは大きい戦果でした。
御家人 竹崎季長、鳥飼潟で奮戦し一番手柄
麁原一帯に陣を敷き直したモンゴル軍ですが、まだ兵力の大半はダメージがなく
銅鑼や太鼓を連続で打ち鳴らし、兵がひしめき、士気が盛んな所を見せます。
そこへ到着したのが肥後の御家人、竹崎季長(たけざき・すえなが)でした。
打ちこもうとする竹崎に郎党の藤源太資光(とうげんた・すけみつ)が、
「味方が来てからでも遅くは無い、一番手柄の証人を立てましょう」と制止します。
しかし竹崎は「弓矢の道は先駆けを以て恩賞が出るのだ、何も考えずに駆けよ」と
刀を抜いて、モンゴル軍に突進しました。
それを見たモンゴル軍も、鳥飼潟(とりかいがた)に向けて一斉に駆けおり、
盛んに矢を射かけます。
竹崎季長主従は、元軍の矢を受けて季長、三井資長(すけなが)、若党以下三騎が負傷し、
討ち取られる寸前まで行きますが、そこに肥前の御家人、白石通泰(しらいし・みちひさ)の手勢、
100騎が駆けつけて、果敢に突撃したので、
恐れたモンゴル勢は再び、陣地がある麁原へ引き返します。
鳥飼潟の戦いで、モンゴルは再度敗れ、百道原に敗走する
(文永の役の鳥飼潟の戦い 『蒙古襲来絵詞』 wikipedia)
同じく鳥飼潟に駆け付けた肥前御家人、福田兼重(ふくだかねしげ)文書によると、
早良郡から元軍が上陸したことを受けて、早良郡に集合するように九州御家人に
命令が下り、早良郡へと馳せ向かった福田兼重ら九州御家人は、鳥飼潟で
モンゴル軍と遭遇して合戦に及んでいるようです。
豊後の御家人、都甲惟親(とごう・これちか)は同じく鳥飼潟の戦いにおいて奮戦。
その功績により豊後守護・大友頼泰(おおとも・よりやす)から書下形式の感状を
与えられています、感状というのは、表彰状みたいなものです。
九州御家人の奮闘によってモンゴル軍は鳥飼潟においても敗北し、
早良郡のうちにある百道原へと敗走していきます。
ここは、上陸ポイントに近く、明らかにモンゴル軍が海に戻ろうという心理に
なっている事が見て取れます。
百道原で漢人左副元帥・劉復亨が重傷を負い、モンゴル退却
鳥飼潟の戦いで敗れたモンゴル軍を追って、九州御家人勢は百道原まで追撃します。
しかし、モンゴル軍も崩れず、死に物狂いになって抵抗、追撃に参加した福田兼重は
百道原において大勢のモンゴル兵の中に飛び込んで矢の打ちあいを演じ、
鎧の胸板・草摺などに三本の矢を受けて負傷します。
記録では、百道原でも大きな戦いが起きて、豊後の御家人、日田永基らが奮戦
さらに百道原の西の姪浜(めいはま)の戦いの両所で1日に二度モンゴル軍を撃破。
おびただしい数のモンゴル兵が屍を曝したと記録されています。
また、百道原では、矢の乱打戦の最中に、モンゴル軍の正司令官、
劉復亨(りゅうふくこう)と思われる人物が矢で射止められています。
「新元史」劉復亨伝では、鎮西奉行、少弐景資により劉復亨が射倒され、
モンゴル軍は撤退したとあります。
遠征軍の正司令官の負傷は、モンゴル軍が撤退する大きな要因でした。
無謀な夜間の出港で、モンゴル軍壊滅する
百道原の戦い後、日没を迎えたので、モンゴル軍は船に引き上げます。
たった一日の戦闘ですが、これまでの離島での圧倒的な戦力差の下での
戦いとは様相が異なり、相当な被害が出たようです。
おまけに劉復亨は矢傷で負傷していたので、総大将の蒙古人クドゥンは
退却を決意します、高麗別動隊の金方慶は反対して、明日も戦わせて欲しい
と直訴しますが、クドゥンは聞き入れず、夜中の間に船団は、碇を上げて
早良郡を出ていき、そのまま、暴風雨に遭遇して13500人行方不明、
150隻の船が座礁という大損害を出し、第一次元寇は大失敗に終わります。
アンゴルモア元寇合戦記 kawausoの一言
文永の役は、10月5日から、10月21日まで、たった16日間で終わります。
特に博多湾から上陸したモンゴル軍は、一日の戦闘で、夜中には船に戻って出港し
その後に風雨にあって大損害を負って惨敗するのです。
余りに引き上げが早いので、鎌倉幕府からの東国の援軍が来る頃には、
戦争が終わっているという有様で、九州御家人勢で追い払ったようなものです。
しかし、余りにあっさりした引き上げを考えるとフビライ・ハンは
最初は征服ではなく、偵察と掠奪を兼ねて、モンゴル軍を上陸させたのではないか?
という感じもしてきますね。
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