ふたりの重臣が権力を巡って争いを起こします。
一人は諸葛孔明のライバルとしてその名を歴史に刻んだ司馬仲達(しばちゅうたつ)
もうひとりは曹真(そうしん)の息子である坊ちゃん将軍曹爽(そうそう)です。
彼らふたりは魏の主導権を握るために戦いを始めます。
初めは曹爽が魏の政権の主導権を握ることに成功しますが、
司馬仲達の策に引っかかってしまって敗北してしまいます。
その後彼は司馬懿に処刑させられてしまうのですが、
彼だけではなくて彼の一族も罪を連座することになり処刑されてしまい、
曹爽の家系の血脈が途絶えることになるのですが、ある人物のおかげで防ぐことができました。
曹爽の家系を根絶させなかったある女性の話を今回はお送りしたいと思います。
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この記事の目次
夏侯令女の烈女ぶりその1:旦那が亡くなり再婚を進められると両耳を切り落とす
曹爽には多くの一門衆がおりましたが、その中で今回活躍するのは彼の従姉妹である女性です。
彼女の名前は夏侯令女(かこうれいじょ)と言い烈女としてその名を轟かせることになる人です。
彼女は曹爽の従弟である曹文叔(そうぶんしゅく)と結婚しておりましたが、
旦那が若くして亡くなってしまったため未亡人になってしまいます。
しかし実家は夏侯令女が美しい女性であったことから再婚してはどうかと彼女に進めます。
すると彼女は「旦那が亡くなってしまったのに再婚なんて考えられません」と強い口調で断ると
自らの耳を削ぎ落として再婚しない固い決意を示します。
彼女のこの行動に驚いた実家の人々はそれ以来彼女に再婚話を持ち込むことをしませんでした。
その後彼女は曹爽の従兄弟である曹爽の元へ身を寄せることにします。
夏侯令女の烈女ぶりその2:再び再婚話が持ち込まれると・・・・
夏侯令女は曹爽の元に身を寄せておりましたが、
司馬懿との政争で曹爽が敗北して処刑されてしまうと家を追い出されてしまいます。
住む場所も無く、頼る者もいなくなった彼女は再び実家へ強制的に戻ることになってしまいます。
そして実家に戻った彼女に再び再婚話が持ち込まれることになります。
すると彼女は「しつこいです。私は結婚しません」と再び断り、自らの鼻を削ぎ落としてしまいます。
彼女はなぜ自らの体を痛めつけてまで結婚を断るのでしょうか。
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自らの体を傷つけてまで守りたいもの
彼女が自らの体に傷つけてまで守りたいものがありました。
それは節義です。
彼女はある人から「一族である曹爽一家は滅亡してしまいました。
それにも関わらずあなたはなんで再婚話が持ち上がるたび、
自らの体にこんなに傷をつけるのですか。」と尋ねられます。
すると彼女は「私はこのような話を聞いたことがあります。
『仁者と言われる人達は隆盛の時も落ち目の時も節義を曲げずに生きており、
義を尊ぶ人達は自らの存亡によって節義を曲げたりしないのだそうです。』
私は曹爽様の一族が盛んな時でさえ自らの節義を曲げて生きていたくないと思い、
あのような行動に出たのです。
どうして曹爽様の一族が滅亡したことをきっかけとして、
私は自らの信念を曲げることができるのでしょうか。」と強い口調で述べます。
この事を聞いた人物は納得して彼女の元を去っていき、ある人物に伝えます。
その人物は曹爽を殺害した張本人である司馬仲達です。
夏侯令女の話を聞いて感心してそして・・・・
彼女の話を聞いた司馬仲達はすぐ彼女に養子を縁組をさせる命令を出すとともに
手紙を添えます。
その手紙には「あなたの節義を守る信念に感心いたしました。
そこで曹爽殿の一族を再興させるために養子縁組を受けてもらいたい」と
書いて命令書と共に彼女へ届けさせます。
彼女は司馬懿から許しを得て養子を育て曹爽一族の再興を行うことに成功します。
三国志ライター黒田レンの独り言
曹爽の一族は夏侯令女の烈女ぶりと司馬懿の温情によって一族を再興することができました。
そして夏侯令女は曹爽の一族を救った烈女として歴史に名をとどめることに成功し、
当時の時代における仁義にあふれた最高の烈女として尊ばれたそうです。
参考文献 西東社 オールカラーで分かりやすい三国志 渡辺清一著など
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