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江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の身長は何センチあったの?

2018年2月27日


 

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江戸幕府の将軍について、初代・徳川家康(とくがわ いえやす)から14代家茂まで肖像画として残っていますが、

徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)のみ写真で残っています。

徳川慶喜の写真と言えば、西洋風の服装で椅子に座っている姿を思い浮かべる人がいると思います。

江戸幕府の将軍の中で身長が高い人という印象を受けるかもしれませんが、

身長はどの位か資料で残っていません。

 

この記事では、徳川慶喜の身長について、

日本史の原始・古代から現代に至るまでの各時代の平均身長、

江戸幕府の14代までの将軍の身長から最後の将軍・徳川慶喜の身長を予想します。

徳川慶喜だけでなく、西郷隆盛・坂本龍馬・勝海舟などの幕末の偉人や

戦国時代の武将の身長も取り上げます。

最後に、日本史の中で平均身長が低い時代とその背景について取り上げます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徳川慶喜はチビだったの?歴代将軍と比較

 

徳川慶喜以外の歴代将軍の身長について、

徳川氏の菩提寺である大樹寺の位牌がもとになっていると言われていますが、

徳川慶喜については大樹寺に位牌がないため本や資料集によっては不明という表記になっています。

 

最初に初代の徳川家康から14代家茂までの位牌の高さから身長を紹介します。

初代徳川家康は159cmです。

2代目秀忠は158cmで、3代目家光は157cm、4代目家綱は158cmです。

初代から4代目までは平均して157cmぐらいであることが分かります。

5代目綱吉の身長について、位牌の高さから124cmと推定されています。

綱吉については健康面での問題がほとんど話題にならなかったので意外かもしれません。

6代目の家宣の身長は160cmでしたが、7代目の家継は幼少であったため身長が135cmでした。

次に、8代将軍吉宗以降の身長について取り上げます。

8代将軍吉宗と言えば、大柄で身長が高いというイメージが先行しますが、

意外に位牌の高さから身長が155cmだったと言われています。

9代家重以降の将軍の身長について、

13代家定が149cmであることを除けば、平均して155cmであったと言われています。

最後に、江戸幕府の身長について、

5代目家綱・7代目家継・13代家定を除けば、150cm台であったことが分かります。

江戸時代の男性の平均身長が150cm台であったことから

15代将軍・徳川慶喜の身長は150cm台であると推定できます。

 

西郷隆盛や坂本龍馬 幕末の偉人の身長は?

 

江戸時代の平均身長は155cmであったと言われていますが、

幕末の偉人の身長が気になります。

 

ここでは、勝海舟(かつかいしゅう)西郷隆盛(さいごう たかもり)坂本龍馬(さかもと りょうま)の3人の身長を取り上げます。

 

 

江戸城の無血開城で有名な勝海舟の身長は156cmで当時の日本人男性の平均身長と同じです。

では、西郷隆盛と坂本龍馬の身長は平均身長より上だったのか気になります。

次に、西郷と坂本の身長について取り上げます。

西郷隆盛の身長は179cmでした。

体重が108kgで上野公園の銅像のように大柄な人でした。

 

坂本龍馬と言えばピストルを隠し持った立ち姿の写真が有名です。

その写真から身長173cmで、写真の通り高身長だったという記録が残っています。

 

 

意外に低い?戦国時代の豪傑の身長

 

戦国時代の平均身長は157cmと言われていますが、

戦国時代の豪傑の身長は高かったのかどうか。

豪傑と言われているから高身長であるに違いないと思うかもしれませんが、

中には意外に低い人もいます。

ここでは、何人かの戦国武将をランキング形式で取り上げます。

 

(1)1位;加藤清正(約190cm)

加藤清正と言えば虎を退治した戦国武将として知れていて、

体格は非常に大きく大男だったと言われています。

しかし、兜をかぶると190cm台で、実際は約160cmであったという記録が残っています。

加藤清正と言えばトイレにこもっている時間が長いという意外なエピソードが有名ですが、

実際の身長も意外かもしれません。

 

(2)2位;前田利家(182cm)

戦国武将で後の加賀100万石のもとを築いた前田利家ですが、

当時の平均身長よりも高かったという記録が残っています。

 

(3)3位;直江兼続(182cm)

戦国武将で、関ケ原の戦いのきっかけをつくった人であり、「愛」の兜でも有名な人です。

高身長で美男子だったことから記録に残っているのかもしれません。

 

(4)4位;浅井長政(約180cm)

北近江の戦国大名・浅井長政は信長の妹お市と婚姻関係にあった人で、

娘の3姉妹茶々(後の淀殿)・お江(徳川秀忠の正室)・お初(京極高次の正室)は有名です。

高身長であったことでも知られています。

 

 

(5)5位;織田信長(約170cm)

肖像画から170cmぐらいであると言われています。

室町幕府の将軍の追放や比叡山の焼き打ちなど大胆なことをしていたので

高身長で威圧感があるという印象を受けるかもしれませんが、意外に身長が低いと思うかもしれません。

 

 

(6)6位;上杉謙信(156cm)

上杉謙信と言えば、数多くの戦で負け知らずで、軍神と呼ばれていました。

軍神と呼ばれていたため大柄だったなど噂ばかり伝えられてきましたが、

当時の平均身長よりも低かったという資料が出たことから低身長であったことが確定しつつあります。

歴史ファンにとって意外かもしれません。

 

 

(7)7位;武田信玄(153cm)

武田信玄と言えば騎馬軍団で有名ですが、

信玄の身長は意外に低かったので驚いた人がいるかもしれません。

川中島の戦いは低身長の戦国武将による戦いだったと言えるでしょう。

 

日本史の中で平均身長が低いのは江戸時代?

 

縄文時代から現代まで日本人の平均身長について取り上げます。

縄文時代の平均身長は、貝塚などから発掘された骨から推測できます。

男性の平均身長は約158cm、女性は約148cmであったと言われています。

高校の日本史で、縄文時代には狩猟をしていたことや

高カロリーのクッキーを食べていて意外にグルメだったということを

耳にしたことがあるかもしれません。

グルメの割には身長が低いので読者の中には驚いた人がいるかもしれません。

 

 

弥生時代から古墳時代にかけて平均身長が高くなります。

男性は約163cmで、女性は152cmでした。

稲作で定住し始めたのと朝鮮半島から渡来人が

技術を伝えたことで生活環境が良くなったことが考えられます。

鎌倉時代から武士の時代が始まりますが、

鎌倉時代から江戸時代にかけて日本人の平均身長が低くなる傾向にありました。

室町時代の応仁の乱の頃から一日3食になり、

栄養状態が良くなったという印象があるかもしれませんが、意外に平均身長が低くなっています。

江戸時代は日本史の中で一番平均身長が低かったと言われています。

男性は約155cmで、女性は約143cmであったと言われています。

農民がひえや粟を食べていたことや大きな飢饉が発生したことが考えられるかもしれません。

明治時代になり、食生活が欧米化したことから

現代に至るまで男性と女性ともに平均身長が上昇する傾向にあります。

   

日本史の中で平均身長が低いのは江戸時代!―その背景とは―

 

日本史の中で武士の時代になると平均身長が低くなる傾向が分かりました。

なぜ日本史の中でとりわけ江戸時代の平均身長が低いのか気になると思います。

身長が低い理由として、農民の生活を統制する法律があったことが挙げられます。

この法律では米を食べずにひえや粟を食べるように命令しています。

栄養価が低かったことが考えられます。

江戸時代に享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉など大きな飢饉が起こったことが挙げられます。

多くの餓死者が出たことや農作物が不作であったことから栄養が十分でなかったことも考えられます。

 

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