キングダム
if三国志




はじめての三国志

menu

執筆者:黒田廉

大久保利通と西郷隆盛西南戦争の原因は王道vs覇道の対立だった

対立する西郷隆盛と大久保利通

 

明治維新を打ち立てた維新三傑(いしんさんけつ)大久保利通(おおくぼとしみち)西郷隆盛(さいごうたかもり)

大久保利通と西郷隆盛の仲は心を通わせた真友同士で、

話さなくても相手のことが分かる間柄だったようです。

 

しかし二人は西南戦争(せいなんせんそう)を機にバラバラになってしまいます。

以前黒田レンは西南戦争の原因を執筆しましたが、

今回は違う角度から西南戦争の原因を探ってみたいと思います。

 

西郷どん全記事一覧はこちら

関連記事:西郷どんが奄美大島に行った理由は?西郷隆盛の妻・愛加那との出会い

関連記事:西郷どんの師、赤山靱負(あかやまゆきえ)が切腹になるのは見せしめ?

 

 

【新事実】征韓論の推進は大久保利通で西郷隆盛が反対していた!?

 

征韓論(せいかんろん)は維新の元勲・西郷隆盛が朝鮮半島へ出陣してを開国する主張で、

大久保利通が西郷の意見に反対していました。

でも実は西郷隆盛が征韓論に反対していたのをご存知ですか。

征韓論は1871年に明治政府の高官・大久保や木戸孝允(きどたかよし)らが朝鮮半島へ兵を送るように主張。

しかし政府の方針に西郷隆盛は「まだ早い」と朝鮮出兵に反対。

明治政府のトップに近い位置にいた大久保利通や木戸孝允らが積極的に朝鮮半島へ出兵しようと考え、

西郷隆盛が反対していた事実がお分かりになると思います。

 

 

西郷と大久保の関係が壊れたのは帝国主義と大アジア主義が原因

 

西郷隆盛は大久保利通達に征韓論を潰された事に怒り、政府をやめて鹿児島へ帰ります。

でも西郷は征韓論で大久保と意見を激しくぶつけた合っただけで、

二人の関係性が壊れるほどではありませんでした。

 

ではどうして二人の関係性は壊れてしまったのか。それは江華島事件(こうかとうじけん)が原因です。

江華島事件とは一体なんでしょう。

明治政府が朝鮮王朝の領土へ測量を名目に江華島に侵入し、

それに朝鮮側が砲撃を加えたので応戦し砲台などを破壊して占領し

朝鮮王朝と不平等条約を結んだ事件です。

この上記の事件は大久保利通など政府高官らが主導となって、引き起こしたものでした。

(画 江華島事件:Wikipedia)

 

西郷は江華島事件の詳細を知って激怒します。

西郷隆盛はどうして怒ったのでしょう。

それは西郷が主張した征韓論(大アジア主義)を大久保ら政府高官が反対しながら、

帝国主義(西欧諸国)の真似事をして朝鮮王朝に不平等条約を結ばせた事が原因です。

 

激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末

 

不平士族の反乱は自由民権運動と連動していた!?

 

西郷隆盛は明治政府を辞めて鹿児島へ帰り、大久保利通のやり方に激怒していました。

そんな中、全国各地で元士族達が新政府に反乱を起こす事件が勃発。

また板垣退助(いたがきたいすけ)らが明治政府に対して、自由民権運動を起こします。

この二つの事件は関係性があるのでしょうか。

 

二つが連動していたことをお話する前に自由民権運動とは何かをさくっと紹介しましょう。

自由民権運動とは板垣退助が同士と一緒に

明治政府へ言論の自由や憲法制定などの提案した政治運動の事です。

自由民権運動には各地の不平士族達も参加することになり、

全国的な規模で明治政府に抗議するデモ活動が拡大することになります。

 

自由民権運動の内容をさくっとご紹介しましたが、

不平士族達の反乱と連動していたのでしょうか。

結論を言いますと関連性があったと言えます。

 

なぜならばこの自由民権運動の初期は不平士族達に重きを置いて、

明治政府から士族の民権を獲得しようとする動きでした。

そしてこの自由民権運動の直後、佐賀で不平士族達を中心にした反乱がおきます。

 

また自由民権運動に参加していた不平士族や板垣退助の同士達は、

西南戦争と連動して挙兵しようとしていたそうです。

これらの事から不平士族と自由民権運動は連動しており、

新政府を変革させようとした勢力だったと言えるでしょう。

 

明治政府の政治は素晴らしかったの??民選議院設立建白書を読んでみた

 

さて不平士族達は明治政府に不満を爆発させて、反乱を各地で起こします。

また明治政府のやり方を批判する自由民権運動が全国各地で起きますが、

これらを見ると明治政府の政治は素晴らしくないように思えます。

 

でも民衆には素晴らしい政治を施していたのかもしれません。

そこでレンは明治政府の政治内容を知るために、明治政府を辞めて下野した

板垣退助や江藤新平(えとうしんぺい)が署名して提出した民選議院設立建白書(みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ)を読んでみました。

しかしこの建白書超長いので、明治政府が当時どのような政治をしていたのか知る為、

建白書を抜粋してちょっとだけご紹介。

まずはこの部分

 

「臣等伏シテ方今政権ノ帰スル所ヲ察スルニ、
上帝室ニ在ラズ、下人民ニ在ラズ、而独有司ニ帰ス。」

 

これを簡単に訳すと陛下の忠実な我らが恐れながら思うに、
現在の政治の実権が誰に有るのかと考えました。

私見ですが、上は天皇に有る訳ではなく、下は国民になく、
実権は新政府の高官(薩長の指導者達)が独占している状況にあります。

 

当時は天皇が政治の実権を握っていたのではなく、明治維新の中心となった

薩摩と長州が政治の実権を握っていたことが分かりますね。

 

では二つ目はこちらです。

 

「而政令百端、朝出暮改、政情実ニ成リ、
賞罰愛憎ニ出ヅ、言路壅蔽、困苦告ルナシ。」

 

政府の命令はすぐに変り、政策はコネで決定されるありさま。
また薩長の人達に気に入られればご褒美がもらえ、嫌われれば罰せられる。
そして言論の自由は無くてみな大変苦しんでいます。

とんでもないことが書いてありますね。

薩長系の政府高官達が政治を好きなように動かしている当時の状況が分かると思います。

ただ、この建白書は板垣退助らの主観も混じっているので、100%信じることはできないと思います。

 

でも明治政府の実態がこの建白書で分かり、いい政治を行ったとは言えません。

むしろ個人的には徳川幕府の政治の方が良かったのではないのかなって思ってしまいます。

皆様はどのように思いますか。

 

西南戦争は維新をやり直そうという志士と帝国主義を突き進む元志士の最後の激突

 

さて自由民権運動がきっかけとなり、明治政府に不満を持っていた士族達が反乱を起こします。

しかし反乱はことごとく失敗することに。

そしてついに維新三傑の一人・西郷隆盛が立ち上がります。

 

西郷隆盛は鹿児島から北上し熊本城を包囲。

熊本城には守備兵が少なく西郷軍の厳しい攻撃が続き、いつ落とされてもおかしくない状態でした。

西郷軍は熊本城を救援しに来た新政府軍を追い払うため、田原坂(たばるざか)で新政府軍と激突。

当初は西郷軍が優勢でしたが、新政府軍の兵士の多さ、武器の多さに圧倒されて敗北してしまいます。

 

しかし西郷軍は新政府に屈することなく九州を転戦。

ですが西郷隆盛率いる反乱軍は徐々に追い詰められ、

最終的に鹿児島の城山に追い詰めれて自刃して亡くなります。

西郷の反乱を「西南戦争」と呼ぶことになります。

 

さて大久保利通は西郷隆盛が自刃した事を記した手紙を家で読んでいる時、

動揺して柱に何度も頭をぶつけ、泣きながら手紙を読んだそうです。

この時大久保利通が何を思っていたのかわかりません。

一つ言えることは西郷隆盛が掲げた明治政府の改革と大アジア主義が現実になることはなく、

大久保利通が掲げた帝国主義が日本の外交方針になった事です。

 

幕末ライター黒田レンの独り言

 

レンは西郷隆盛が起こした西南戦争に対しては、新政府のためだと思っております。

一つ理由を挙げるとすれば、どうして西南戦争で明治政府を大きく揺るがした西郷隆盛が

上野に銅像を建てられる事になったのか。明治政府に敵対した西郷隆盛は本来なら賊と一緒です。

 

でも明治政府は上野に西郷さんの銅像を建てるように命じている事から、

西郷隆盛が明治政府のために反乱を起こしたと思えるのです。

レン独自の視点で考えた西南戦争の理由を簡単に記しているので、

気になる方は見てください。

 

西郷隆盛が西南戦争を起こした理由とは?

 

さて現在大河ドラマ「西郷どん」は人気がうなぎのぼりで大きな反響を呼んでいるそうです。

西郷どんの最終回まではかなり時間があるので、西郷隆盛と大久保利通の決別理由の予習や

西郷隆盛が起こした西南戦争の予習としてこの記事をご覧になってはいかがでしょうか。

 

参考文献 中公新書 西南戦争―西郷隆盛と日本最後の内戦 小川原正道著等

 

西郷どん:全記事一覧はこちら

関連記事:伊集院須賀(いじゅういん・すが)とはどんな人?西郷どんに嫁いだ最初の妻の悲しい生涯

関連記事:西郷糸子はどんな人?西郷どんの3番目の妻は冗談好きのしっかり者

 

愛と勇気で時代を切り開いた西郷どんを100倍楽しむ

 

 

黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

投稿者の記事一覧

横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

関連記事

  1. 程昱(ていいく)は曹操の軍師となる前は一体何をやっていたの?
  2. 酒乱の徳川慶喜 徳川慶喜は会津藩をポイ捨てにした?
  3. 【科学面や発明品から知る三国志】三国時代の発明品ってどんなものが…
  4. 孫呉のラストエンペラー・孫皓を支えた陸抗と陸凱の逸話
  5. 西郷隆盛像が上野恩賜公園に設置されている理由とアクセス(行き方)…
  6. 織田信長 アゴと信長にあだ名を付けられた柴田勝家の秀吉包囲網がスッゲー
  7. 小栗忠順にも弱点があった?策におぼれた小栗に訪れた結末とは?
  8. 趙娥(ちょうが)とはどんな人?復讐者兼暗殺者であった烈女・龐蛾親…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

  1. 担がれる劉邦
  2. 劉備玄徳が眩しい理由 三国志
  3. 泣く子も張遼

おすすめ記事

  1. 袁譚(えんたん)ってどんな人?めちゃくちゃ三男と仲が悪かった袁家の長男
  2. え?まるでバカ殿?三国志時代の愛されメイクを紹介。どんな風にお化粧してたの?
  3. 【新機種】iPhoneX/ Xperia XZ1/ XZ1 Compact対応スマホケース発売開始です!
  4. 【魏延粛清作戦】捨て駒同然の扱いをされた馬岱
  5. 毛玠(もうかい)とはどんな人?魏の人事担当者として辣腕を振るった政治家
  6. 真・三國無双8 新キャラクターを大予想!西晋の新武将は、この二人で決まり!!

三國志雑学

  1. 孔明もコペルニクスに似ていた
“はじめての三国志150万PV" はじめての三国志コミュニティ総合トピック
“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

  1. 曹操VSかく
  2. 劉璋と劉備
  3. キングダム53巻

おすすめ記事

黒田官兵衛 黒田官兵衛は本当に息子の活躍を苦々しく思っていたの? 【留年っていいな♪】 魏の大学には落第生ばかり!!その意外な理由とは? 天に頭はあるの?プライド賭けたトンチ合戦の勝敗は 曹操の曽祖父 曹萌(そうぼう)は元祖、萌えキャラだった? 【ネオ三国志】第4話:孫家の跡継ぎ、天下へ向けて出陣 山県昌景(やまがたまさかげ)とはどんな人?武田家四名臣の一人・赤備えを率いた戦国武将 びっくりするような遅咲き!天下の賢者 太公望 蒼天航路 【ネオ三国志】第1話:蒼天航路の主人公・曹操立つ

はじさん企画

“if三国志" “三国志とお金" “はじめての漢王朝" “はじめての列子" “はじめての諸子百家" “龍の少年" “読者の声" 袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“水滸伝"

“三国志人物事典"

PAGE TOP