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篤姫の髪型について徹底紹介!少女期から晩年まで

2018年3月10日


 

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江戸時代、男性も女性も身分によって髪型が決まっていました。

その辺は時代劇を見ていても分かるかと思います。

男の人の「町人っぽい(まげ)」や、

裃を着たサムライの(まげ)は全然違いますよね。

女性も同じです。身分や年齢によって髪型が異なってきます。

今回はNHK大河ドラマ「西郷どん」のヒロインのひとりである篤姫(あつひめ)の髪型、

つまり「ヘアスタイル」に注目してみましょう。

江戸時代の高い身分、文字通り「お姫様」であった篤姫の子ども時代から

晩年までの髪型の変化を追いかけて、

江戸時代の女性のヘアスタイルについて考察行きたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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篤姫の少女期の髪型は?

 

今から見れば江戸時代の女性は見るからに手の込んだものです。

日本髪を結うのは大変ですよね。

現代も、女性が成人式で着物にマッチした髪型を作るのに

どれだけの時間と手間がかかるのかというものです。

江戸時代の女性でも身分が高くなってくると、子どもであっても凝った髪型になります。

少女期の篤姫は「吹輪(ふきわ)」とよばれる髪型をしています。

上級武士の子女が結う髪型です。

「江戸時代のお姫様」というイメージ思いうかべてみましょう。

それが、ほぼその髪型になるのではないでしょうか。

江戸時代、吉原の遊女が始めた「勝山髷」と結い方はほとんど同じです。

ただそれより平らで幅広い部分が違います。

お姫様と遊女ではずいぶん違いがあるような気がしますよね。

しかし、江戸時代では吉原の遊女は単なる風俗嬢のような存在ではかったのです。

学問を修め、しかもファッションリーダー的な部分もあり、

流行の最先端にいたのが、吉原の遊女たちだったのです。

少女期の篤姫の「吹輪(ふきわ)」も、

そういった流行の中で出来上がったものでしょう。

しかし、髪型はともかく史実のお姫様の髪飾りはさほど、華美ではなかったようですね。

 

篤姫が島津斉彬の養女になった頃の髪型は?

 

篤姫は、17歳で島津斉彬(しまづ なりあきら)の養女になります。そのときの髪型は「つぶいち」と呼ばれるものです。

大藩薩摩藩の藩主・島津斉彬の養女です。

「つぶいち」も身分の高い女性が結う髪型だったようです。

元々、宮中の女官や公家の姫君の髪型の総称のです。

ただ「つぶいち」にも色々な種類があり、

将軍家の姫様が結っていた「御守殿島田」が原型とされています。

別名を「つぶいち島田」というように「つぶいち」は、島田髷の一種です。

篤姫が島津斉彬の養女のときに結っていた髪型は正確には

「島田の地たぼ」であったのではないかという説もあります。

これは、薩摩流の「つぶいち」であり下の方に膨らんだ髪型となります。

 

 

篤姫が徳川家定の御台所になった時の髪型は?

 

篤姫が徳川定家(とくがわ いえさだ)の御台所になるとまた髪型は変わります。

江戸時代は身分によって髪型が変わるのは前に書いた通りです。

ここで、篤姫は将軍の正妻になります。トップレディーです。

もう、女性とすれば最高レベルの身分です。

篤姫の髪型はまず薩摩流のお姫様の髪型だった「島田の地たぼ」から

徳川流の「葵たぼのつぶいち」となったという説もあります。

過去の篤姫が登場したNHK大河ドラマではそのような考証を行った例もあります。

ただ、詳しい史料も残っていませんのでそこは、エンタメ的創造の余地が入る部分でしょう。

「西郷どん」では大奥最高位である「おまたがえし」という髪型になっています。

勝山と似ていますが、髪で作った輪の下で笄(こうがい)という

髪型をととのえる結髪道具に千鳥がけする部分が異なっています。

 

篤姫はどうして御台所の髪型を結わなかった?

 

しかし「おまたがえし」は大奥最高位であるものの、

あくまでも婚礼を終えるまでの髪型ともいわれます。

また、着帯といって、妊娠五か月を迎えるまでこの髪型でいるという習慣もあったようです。

つまり、子を成すかなさないかで、女性は髪型が変わってくるわけです。

本来であれば婚礼を終われば、子づくりをするのが身分の高い人の役割です。

後世に血をつなげるために婚礼というものがあるのですから。

しかし、篤姫は婚礼を終えても髪型を変えません。

普通は「尾長」という髪型になるのですが、篤姫はこの髪型を結いませんでした。

女性は時代の中で、道具として扱われていました。

特に身分が高くなればなるほど、心の自由などあるわけはなく、

そもそも考えたことなどなかったかもしれません。

ただ、篤姫の場合、島津斉彬の養女となり、将軍家に輿入れするという動きをみれば、

自分が「コマ」であろうという思いはどこかにあったのだと思います。

篤姫は、その後徳川家を残そうと奮闘しますが、

当時は自分の境遇に対する不満もあったのかもしれません。

そのささやかな抵抗が「尾長」を結わなかった理由かもしれませんし、

また篤姫には子をなさせないという徳川家内部の反発の意味もあったのかもしれません。

   

家定没後の篤姫は丸坊主になったの?

 

篤姫が家定に嫁いで2年を経過することなく、家定は急死します。

正室の篤姫は「落飾(らくしょく)」といって仏門に入ります。

出家と同じ意味ですが、高貴な女性の場合「落飾」という言葉が使われます。

出家するときは、丸坊主にするイメージがありますね。

確かに、男性の場合はそうです。

しかし、女性の場合は、「尼削ぎ」といって後ろ髪を短く肩の辺りで切って揃え、

髷を結わないという髪型が普通だったようです。

現代言えばセミロングといっても良い髪型だったようです。

篤姫も「落飾」し天璋院となります。ちなみに「天璋院」は戒名で略称です。

天璋院殿従三位敬順貞静大姉という、すごく高価そうな戒名が正式名です。

「尼削ぎ」は平安時代から身分の高い女性が「落飾」するときには一般的な髪型だったようです。

 

篤姫の晩年の髪型は?

 

晩年「天璋院」と呼ばれることになった篤姫の姿は写真に残っています。

その髪型は現代でいえば「ポニーテール」というようなものです。

結わう位置の低いポニーテールでしょうか。

これは「切り髪」という髪型で武家の未亡人が結った髪型だったようです。

天璋院は大奥から徳川家を支える女傑として歴史に名を刻み、そしてその姿も写真に残しています。

この髪型だった天璋院となった篤姫が、徳川家存続のため戦います。

決して仲がいいと伝わっていない和宮と手を組み、江戸が炎で包まれ、

徳川家が滅びることが無いよう動くのです。

彼女は多くの格言を残していますがその中に「華にも意地あり」というものがあります。

当時の女性は身分が高く美しく着飾っても、

発言力などほとんどなかったと言われています。

その中で、薩摩出身ながら、

徳川家存続のための動いた篤姫=天璋院。彼女は「意地」をもった華であったのでしょう。

 

幕末ライター夜食の独り言

 

篤姫は過去のNHK大河ドラマでは宮崎あおいさんが演じ、

フジテレビで放送され、人気ドラマとなった「大奥」では菅野美穂さんが演じました。

篤姫は、その当時話題となった女優さんが演じで、いろいろな髪型を楽しませてくれました。

今回の「西郷どん」では、篤姫を北川景子さんが演じています。

どんな篤姫になっていくのでしょうか。

身分や既婚未婚により、髪型まで変わってしまうのが、江戸時代です。

その中で、政治の駒として使われた篤姫が見せた生き様は、

強い女性というイメージがあります。

篤姫の髪型の変化は時代の変化流れもようでもあり、

時代に翻弄されていった彼女の姿を端的に映し出していたのかもしれません。

 

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